はじめに
日本画と聞くと歴史ある日本の伝統芸術と思われる方が多いかと思いますが、その歴史を紐解くと100年と少しです。美術館に収蔵されている江戸時代の水墨画などが日本画のルーツですが、狩野派(狩野探幽、狩野永徳など)や円山派(円山応挙、長沢芦雪など)とは分けて考えられているため、日本画は新しい芸術と言えます。今を生きる新しい表現様式は総評して「現代美術」と呼ばれ、抽象的な作品から絵画様式の枠組みを超えた自由な広がりを見せています。日本画も新たに生み出された芸術という視点から見れば現代美術だったのでしょう。現代美術も短命で終わるジャンルもありますので、日本画は幅広い世代に受け入れられたのではないでしょうか。日本の古典芸術を世襲して、一般的に馴染みやすい具象絵画で表現されているのが大きな要因だと思います。
前置きが長くなりましたが、明治初期に産声を上げた日本画の成長期を支えた代表的作家を総称した『日展三山』について紹介させていただきます。
日展三山とは?
日展を中心に活躍した東山魁夷、杉山寧、高山辰雄の三作家を総称した言葉です。三人とも苗字に山が付くことから尊敬の念を込めてつくられた造語です。特に東山魁夷、杉山寧の日本画は現在でも高い金額で取引されています。日本画の生み出された当初は『日本画と定義するルール』がいくつもありました。そもそも日本画は狩野派や円山派などを下地に意図的に作られたジャンルで、その当時に西洋から輸入された油絵絵画(洋画)と区別するためとされています。
日本画を生み出した目的が洋画と区別するためでしたので明確な線引きが必要なのも納得できます。代表的な枠組みは「輪郭線がある」、「陰影を描かない」、「過度な写実を追わない」、「表現が簡素」などが挙げられます。
日展三山と呼ばれる作家たちは独自の表現様式を模索して、成立当初の枠組みを超えて新しい日本画を創造しました。革新者としての歩みは多数の美術史で語られ、作品を通して見ることもできます。
世界各地で加速度的なスピードでセンセーショナルな芸術作品が生まれている現代では、伝統的な様式を守るだけでは過去のモノになってしまします。伝統をすべて捨てる必要はありませんが挑戦を辞めてしまったら日本画の歴史が途絶えてしまうかもしれません。日展三山が活躍した時代は洋画だけではなく抽象絵画を中心とした様々な芸術運動が世界各地で巻き起こっていました。それぞれの作家がそれぞれの土台で新たな表現様式を模索していた時代で日本画壇を支えた功労者と言ってよいでしょう。
最後に
当社で出来ることは作品を流通させることです。押し入れや納戸にしまわれた日本画をマーケットに流通させ新陳代謝を促します。市場評価と美術史的評価は比例することが多いので作品を流通させてマーケットを盛り上げていきたいと思います。その為、現在飾っていない日本画があれば当店 東京の美術品買取専門店獏 へお気軽にご相談ください。作家が分からない作品でも可能な限りお調べさせていただきます。
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