関根伸夫の絵画・油絵・版画の買取価格とポイント
1942年~2019年 物故作家。
埼玉県生まれ。1962年~1968年まで多摩美術大学絵画科に在籍し、斎藤義重と高松次郎に師事する。1968年から1970年にかけて「もの派」をリードする作品を次々に発表。1970年 ヴェネツィア・ビエンナーレに《空相》を出品し、これを機に2年間ヨーロッパに滞在する。2012年にはアメリカ・ロサンゼルスのBlum & Poeで「太陽へのレクイエム:もの派の美術」に参加し、同年11月のMoMAで「Tokyo 1955–1970: A New Avant-Garde」にも出品される。関根伸夫の作品は原美術館、世田谷美術館、豊田市美術館、広島市現代美術館、国立国際美術館等、様々な有名美術館に収蔵されている。
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買取ポイント
関根伸夫の作風
関根伸夫といえば<もの派>の代表的作家ではないでしょうか。
まず、<もの派>とは何か?戦後美術は具象や抽象の壁を越えてコンセプトの世界へ突入しました。その中で関根伸夫は<もの派>という概念を生み出したのかを出来る限り簡潔に紹介させていただきます。また、市場に出回っている作品を中心に解説していきます。
関根伸夫作品の特徴や一覧を紹介|代表作「位相」絵画から家族構成まで徹底解説
もの派とは?李禹煥との関係性は?
1970年前後に生み出された未加工の物質・物体を作品とした芸術です。具体美術と並ぶ芸術運動で日本美術史においては重要なポイントでした。もの派の代表作家は関根伸夫と言われ、他にも李禹煥、菅木志雄、高松次郎などの作家を総称して呼ばれていました。しかしながら、具体美術協会のように公にグループを組んでいたのではないため、対象作家は明確に区別されていません。では、関根伸夫はどのような経緯で<もの派>というコンセプトを生み出したか見ていきましょう。
大学入学前後にはアンフォルメル的なデッサンを繰り返します。ターニングポイントは斎藤義重との出会いです。抽象絵画の基礎理論を叩き込まれ、1960年代後半には高松次郎からも影響を受けました。現代美術とは空間認識の問題ではないかと考えるようになり、新しい空間認識法を見つけるため位相幾何学や相対性理論などを学び、そして1967年頃に1つの答えに辿り着きました。
形というものは不変ではなく常に変化し続けるという前提のもと、空間や物体の成り立ち方を認識しながら作品制作をしました。その後、空間と物体をテーマとし様々な物質を使用して「位相」シリーズとなり発表されました。68年の第8回毎日現代美術展にこれらの作品を出品し受賞した結果、李禹煥によって提唱されることになるもの派が誕生しました。非常に難解なコンセプトですが新たな尺度からものを見て考えるという思想を提供してくれます。
2008年 40年ぶりに「位相ー大地」の再制作
1968年、神戸の須磨離宮公園にて制作された巨大な土の作品「位相‐大地」は関根伸夫の代表作となりました。地面に2.7×2.2mの円柱型の穴があり、掘り起こした土を穴と同じ形に固めて隣に置いたという作品です。
「位相‐大地」は、当時の美術界に衝撃的な反響を呼び起こし「もの派」を含む日本美術の動向に決定的な影響を与えました。
この作品は、2008年に開催された「多摩アートラインプロジェクト」にて、40年振りに再制作されました。1968年当時は、何人かのアーティストと共に手作業で制作していましたが、2008年では建設会社の協力の元、田園調布せせらぎ公園に設置されました。
また、その後も2011年にゆかりのある神戸芸術工科大学のキャンパス内にて制作・展示されています。
関根伸夫の現在の評価と価値
没後間もないため相場はそこまで安定していませんが、需要が高い作家のひとりです。ここでは絵画作品について述べていきます。金に彩られたキャンバスに空間が発生します。丸や楕円上にキャンバスが切り取られている作品や、色が載せられています作品もあります。作品の評価は市場的な側面からしか見ることができませんが、装飾具合と作品の大きさで判断されることが多い印象です。買取金額は数十万円台になる事が多いです。
作風が作風のため、ダメージが発生している作品は少ない印象です。ご売却をご検討の際は、お気軽にご相談ください。
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関根伸夫の作品
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虚実のピラミッド(版画)
直筆作品でよく見かける構図ではないでしょうか。
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紫のパレットのproject(版画)
銅版画で作られた版画作品です。
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空の穴のような(版画)
実際に穴が開いている前衛的な作品です。