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有名な写実画家6人と写実主義について解説

「写実主義」という言葉を聞いたことはありますか?

リアリズムやレアリスムともいいますが、この記事では芸術分野での「写実主義」について、有名な写実画家とともに簡単に解説していきます。

さまざまなジャンルが登場するヨーロッパの絵画史。写実主義とはどんな芸術様式を指すのでしょうか。
早速みていきましょう。


写実主義とは?


歴史や神話を題材とし、個人の主観を尊重する自由な理想を描いていたロマン主義が主流だった19世紀のフランス。これに対抗する形で起こったのが、ギュスターヴ・クールベが主張した写実主義です。

写実主義では、身の回りの対象をありのまま描こうとしました。社会を理想化せず、現実的な日常を客観的に描いたのです。
題材となったのは、労働者や農民、そして自然の風景など。
その背景には、ロマン主義への反発の他に産業革命により生み出された格差社会がありました。

写実主義は、政権が入れ替わる不安定な政治情勢、格差社会など、変化の激しい時代を反映しているといえます。

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バルビゾン派との違いは?


写実主義と同時期に存在したバルビゾン派。
フランス郊外にあるバルビゾン村やその周辺に移り住んだ芸術家たちを指します。
フォンテーヌブローの森や自然を、そしてそこで働く農民や農村の風景を写実的に描きました。

現実をありのまま写し出すという点では同じ写実主義とバルビゾン派。
しかし、労働者や農民などを社会的抗議の意味合いを込めて描いた写実主義に対して、バルビゾン派は自然を愛し、自然を讃え、素朴な日常や風景を描いたという点で「現実」の捉え方に違いがあったといえるでしょう。


オノレ・ドーミエ


1808年〜1879年。
風刺版画家として活躍し一世を風靡したドーミエですが、油絵画家としても多くの画家に影響を与えました。とはいっても、油絵が評価されるようになったのは彼が亡くなってから。300点以上の油絵を残していますが、その絵が生前に公開されることはほとんどありませんでした。

ドーミエは、パリに住む労働者階級の人々の暮らしを鋭く切り取った作品や、産業革命により発展した鉄道を主題とした作品を多く制作しています。


「三等客車」1862年頃


三等鉄道車両にギュッと詰め込まれたように座る労働者階級の人々を描いた『三等客車』は、少なくとも3枚描かれていたといいます。
彼らの気持ちの表れなのか、全体的に暗い色彩で描かれており、孤独感や生きづらさを感じると同時に乗客たちのたくましさも伝わる作品。

ちなみに、油絵ではありませんが『一等車』『二等車』という作品もあり、この『三等客車』との連作となっています。

ジャン=フランソワ・ミレー


1814年〜1875年。
農民画で有名なミレーは、バルビゾン派を代表する画家の一人。
農家の生まれであり、幼い頃から農作業を体験していたミレーにとって、農民の姿を描くことは必然だったのかもしれません。

1949年にバルビゾンに移住し制作に励むも、貧しい農民の姿を描いたミレーの作品はしばしば論争を招き、反発を受けました。一方、貧しいながらも一生懸命働き、生きている姿を写し取った作品として評価する声があったのもまた事実。

ミレーに影響を受けた一人であるゴッホは、多くの模写作品を残しています。


「落穂拾い」1857年


ミレーの代表作といえば『落穂拾い』。
刈り終わった畑に落ちている麦の穂を、農婦たちが腰を曲げて拾う様子が描かれています。
背景に目を向けると、そこには小麦が高く積まれたにぎやかな収穫風景が。豊かな地主と貧しい農婦との対比が描かれているのもこの作品の特徴です。

重苦しさの中にも朝の太陽の明るさが美しく描写された、非常にリアリティのある作品です。

ギュスターヴ・クールベ


1819年〜1877年。
ありのまま描写することを徹底したクールベ。
「天使を見たことがないから描けない」という名言を残しており、「生きた芸術」を作ることを目指し、写実主義をけん引した人物です。

1855年のパリ万国博覧会への出品を拒否された彼は、博覧会場近くで「ギュスターヴ・クールベ作品展。入場料1フラン」の看板を立て自作を公開しました。
これが世界初の「個展」といわれています。その目録に記されたのが、かの有名な「レアリスム宣言」です。


「オルナンの埋葬」1849年


クールベが手掛けた大作『オルナンの埋葬』は、故郷であるオルナンで亡くなった彼の大叔父の埋葬風景を描いています。
いわば無名の人物を、「歴史画」として大きなキャンバスに描く挑戦的な作品として物議を醸した本作。
西洋美術において大きな転換点といえる作品です。
現在、オルセー美術館に所蔵されています。

エドゥアール・マネ


1832年〜1883年。
常にサロンでの成功を望んでいたマネ。印象派展に参加をしなかったことから、印象派の画家ではなく印象派の指導者、先駆者という位置づけが一般的。
また、写実主義から印象派への流れを作ったともいわれています。

『草上の昼食』や『オランピア』で多くの批判を浴び、美術界にスキャンダルを巻き起こしたマネですが、独自の画風で印象派の画家たち、そして美術史に多大な影響を与えた革新的な人物として知られています。


「草上の昼食」1863年


マネの代表作であると同時に、当時のアート界にスキャンダルを巻き起こした作品。
着衣の男性2人に対して裸体の女性。神話や歴史上に登場する裸体の女性ではなく、娼婦である現実の女性の裸体を描いたことが批判のもとになったのです。

しかしマネの作品が西洋絵画史に及ぼした影響は大きく、たびたびパロディ・オマージュの題材とされました。

アンリ・ファンタン=ラトゥール


1836年〜1904年。
人物画や静物画を得意としたフランスの画家であり、リトグラフの版画家。

父も画家であったファンタン・ラトゥールは、国立美術学校で学んだ後、エドガー・ドガやエドゥアール・マネ、ベルト・モリゾらと知り合い交流を持つようになります。
その後ギュスターヴ・クールベとも知り合い、彼のアトリエで働いた時期もありました。

静物画や花の絵が有名で人気ですが、人物画では友人の画家や作家らを描いたグループ肖像画を手掛けました。
17世紀のいわばオランダ黄金時代の絵画を手本にしていたそうです。


「ドラクロワ礼賛」1864年


グループ肖像画である『ドラクロワ礼賛』は、ロマン主義の巨匠ウジェーヌ・ドラクロワへの敬意を込めたオマージュ。
ファンタン・ラトゥールと親交のあった面々が描かれています。白いシャツを着た人物は、ファンタン・ラトゥール本人の自画像。
真ん中には、ここに集まる芸術家たちが称賛するドラクロワの肖像画が掲げられています。

ジャン=バティスト・カミーユ・コロー


1796年〜1875年。
バルビゾン派の七星にも数えられるフランスの画家。
コローは、ルネサンスから新古典主義を経て発展したアカデミズム絵画を学び、写実主義を目指しました。

フランス各地に赴き風景画を描き、3度のイタリア旅行では光の効果を学んだといいます。そんなコローの風景画は、のちの印象派の画家たち、そして日本の画家にも影響を与えています。

全体的に銀灰色を帯びたような色彩が特徴で、写実的に描いた風景の中に彼の感性で人物を配するという、情感あふれる風景画を描いています。


「モルトフォンテーヌの思い出」1864年


写実的な要素だけではない空想的絵画の代表作『モルトフォンテーヌの思い出』。
まるで夢の中のような叙情的な世界が広がっています。
コローの絵に描かれることの多い木々と、それをとりまく光と風まで表現されているよう。

サロンに出品された際にナポレオン3世により購入され、現在はルーヴル美術館に所蔵されています。

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まとめ


ここまで写実主義について、そして現代でも有名な写実画家6人について簡単に紹介してきました。
写実主義と一括りにしても、そこに至った経緯や作風、魅力は人それぞれ。

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