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世界の有名な画家12人を紹介!代表作品も解説

「ピカソやゴッホを知っていますか?」と聞かれたら、ほとんどの人が「知っている」と答えるでしょう。
そしてその大多数は、彼らが画家であるということも理解しているはずです。
それほど知名度がある2人ですが、他にも「有名な画家」として認識されている人はたくさんいます。

この記事では、評価の高い世界の有名画家12人を代表作とともに簡潔に紹介していきます。

知識を深めることで、美術鑑賞がより楽しく豊かになるのではないでしょうか。


【ヤン・ファン・エイク】

ヤン・ファン・エイクは、15世紀に主にベルギーで活躍したフランドル派を代表する画家の一人。
1390年〜1395年ごろの生まれであるとされています。

ヤン・ファン・エイクが確立したとされる油絵具による油絵技術・技法は、絵画界に革新をもたらしました。
奥行きや深みが生まれ、緻密な描写と表現、鮮やかな美しさが特徴の絵画が生まれたのです。


【「アルノルフィーニ夫婦像」1434年】

ヤン・ファン・エイクの代表作の一つが『アルノルフィーニ夫婦像』。
イタリア人商人ジョヴァンニ・ディ・ニコラ・アルノルフィーニ夫妻を描いた作品で、婚姻契約を行う場面を描いたものといわれています。

また背景の凸面鏡に映る人物の一人はファン・エイク自身とされており、壁に書かれた「ヤン・ファン・エイクここにありき」という署名とともに、婚姻の立会人としての意味合いがあると考えられています。
・参考文献
Wikipedia アルノルフィーニ夫妻像

【サンドロ・ボッティチェッリ】

1445年〜1510年。
サンドロ・ボッティチェッリは、ルネサンス初期のフィレンツェ派の代表的な画家。
フィリッポ・リッピのもとで修行を積んだボッティチェッリは、当時フィレンツェの支配者として君臨していたメディチ家の支援を受け、宗教画、神話画などの傑作を残しました。

華やかで優美、かつ繊細な絵画の背景には、人文主義や新プラトン主義の思想があったと解釈されています。


【「ヴィーナスの誕生」1483年】

ボッティチェッリの代表作といえば『ヴィーナスの誕生』を思い浮かべる人が多いはず。
これは、ギリシャ神話の女神ヴィーナスが海から誕生し、海岸に流れ着いた様子を描いています。
西風の神ゼピュロスが息を吹きかけ、時間の女神もしくは季節の女神であるホーラーが、マントを差し出し迎えようとしている場面です。

リアリズムよりも美に重きをおいている絵画といえるでしょう。
・参考文献
Wikipedia ヴィーナスの誕生

【レオナルド・ダ・ヴィンチ】

1452年〜1519年。
現在のイタリアであるフィレンツェ共和国のルネサンス期を代表する芸術家。
『モナ・リザ』や『最後の晩餐』などの絵画が有名ですが、実は現存する絵画作品は多くありません。

彼の功績は芸術だけにとどまらず、機械工学、天文学、物理学、建築学などあらゆる分野に及びました。歴史上最も多才であり、それが「万能人」と呼ばれるゆえんです。


【「モナ・リザ」1503-1506年】

世界で最も有名な絵画といっても過言ではない『モナ・リザ』。
ダ・ヴィンチが最後まで手元に置き続け、手を加えていたといわれています。

謎めいた微笑みが魅力ですが、この絵画の素晴らしさはダ・ヴィンチのその卓越した技法によるもの。
革新的なスフマートという技法が用いられ、絵具を何層にも塗り重ねることにより輪郭をぼかし、なおかつ立体感を表現しています。
・参考文献
wikipedia モナ・リザ

【ヨハネス・フェルメール】

1632年〜1675年。
オランダのデルフトで生まれ、生涯をこの地で過ごしたフェルメール。
レンブラントやベラスケスらと並んでバロックを代表する、そしてオランダ黄金時代を代表する画家の一人です。

「光の魔術師」と呼ばれるように、光と影を巧みに用いた表現が魅力。細部にまでわたる綿密な描写で、家庭内の日常的な場面を多く描きました。


【「真珠の耳飾りの少女」1665年】

別名『青いターバンの少女』といわれるように、大きな真珠とともに目を引く鮮やかなターバンの青色。これは高価なラピスラズリを原料とする「フェルメール・ブルー」と呼ばれる色です。

1665年ごろの制作と推定されていますが、モデルの有無や絵画制作の経緯などの詳細は不明。
微笑しているように見える口元、数々の謎が残ることから「北方のモナ・リザ」とも称されています。
・参考文献
Wikipedia 真珠の耳飾りの少女

【フランシスコ・デ・ゴヤ】

1746年〜1828年。
フランシスコ・デ・ゴヤはベラスケスと並ぶスペインの画家。
40代でようやく宮廷画家として活躍するも、不治の病が彼を襲います。病により聴力を失ったゴヤは、人間の心の内に目を向けるようになったといいます。

半年後に復帰を果たした彼は、傑作といわれる代表作を次々と生み出していきました。


【マドリード、1808年5月3日1814年】

1808年、ナポレオンにより派遣されたミュラ将軍率いるフランス軍がマドリードに侵攻。

その後の1814年に、当時の様子を描いたのが『マドリード、1808年5月3日』。
『プリンシペ・ピオの丘での虐殺』という名でも知られていますが、これは『マドリード、1808年5月2日(1808年5月2日、エジプト人親衛隊との戦闘)』との連作になっています。
・参考文献
Wikipedia マドリード、1808年5月2日

【ピカソ】

1881年〜1973年。
スペインのマラガで生まれ、「20世紀最大の画家」として知られています。
ジョルジュ・ブラックとともにキュビスムを創設した人物で、作風を次々と変えていったことでも有名です。

「青の時代」「ばら色の時代」「アフリカ彫刻の時代」「キュビスムの時代」を経て、「新古典主義の時代」「シュルレアリスムの時代」へと変遷していきます。


【「泣く女」1937年】

1937年、ドイツ空軍によるゲルニカ爆撃を受けて制作されたピカソの代表作『ゲルニカ』。この『ゲルニカ』にも「泣く女」は登場します。

「泣く女」をモチーフにした作品は100種類以上のバリエーションがあるといわれており、『ゲルニカ』と時を同じくして多くの『泣く女』を描いています。
モデルは約9年間ピカソの愛人であった写真家のドラ・マール。
・参考文献
Wikipedia 泣く女

【エドゥアール・マネ】

1832年〜1883年。
印象派展に参加をしなかったことから、印象派の画家ではなく印象派の指導者、先駆者という位置づけが一般的なエドゥアール・マネ。

『草上の昼食』や『オランピア』で多くの批判を浴び、美術界にスキャンダルを巻き起こしたマネですが、独自の画風で印象派の画家たちに多大な影響を与えていたことは間違いありません。


【「鉄道」1873年】

『鉄道』が制作された当時は鉄道ブームのさなか。しかしこの絵には鉄道は描かれておらず、主人公は1組の母子。
読書に没頭していた母親がふと目線を上げた瞬間を捉えたものです。
一方、少女は退屈し、鉄柵の向こうにあるであろう汽車を眺めています。

謎や違和感が多い作品で、その場に流れる空気の冷たさを感じます。
・参考文献
Wikipedia 鉄道

【クロード・モネ】

1840年〜1926年。
代表作『印象・日の出』が印象派の名前の由来になっているように、クロード・モネは印象派の巨匠とされるフランスの画家。

「印象」を再現するため戸外制作にこだわり、筆触分割という技法を用いて光に満ちた明るさ、そして移りゆく光をも表現しようとしました。

また、時間や季節、天候により景色が変わることに気づいたモネは、同じモチーフをさまざまな光の下で描いた連作を多く残しています。


【「散歩、日傘をさす女」1875年】

第2回印象派展に出品された『散歩、日傘をさす女』。
描かれているのはモネの最初の妻であるカミーユとその息子ジャン。夏のある日、日傘をさし息子とともに草原を散歩している光景が描かれています。

下から見上げるような構図で、逆光の中カミーユが振り向いたその一瞬を捉えています。
明るい色彩と見事な光の表現。
まさに印象派を代表する作品といえるでしょう。
・参考文献
Wikipedia 散歩、日傘をさす女

【ピエール・オーギュスト・ルノワール】

1841年〜1919年。
印象派を代表するフランスの画家。風景画を多く描いたモネに対し、ルノワールは人物画や肖像画を多く描いており、柔らかで優しいタッチの女性像が印象的。

貧しい家に生まれた彼にとってサロンへの入選が重要だったため、度々サロンに挑戦し数多くの入選を果たしています。
印象派の発展に貢献したルノワールですが、徐々に離脱していき古典主義へと回帰。
独自の画風を作り上げていきました。


【「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」1876年】

『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』の名でも知られ、第3回印象派展にも出品された作品です。
ムーラン・ド・ラ・ギャレットとは、モンマルトルにあったダンスホール。庶民の憩いの場であり、木漏れ日の中、流行のドレスを身に着け楽しそうに踊る人々の姿が描かれています。

光や影の表現に印象派の技法が見て取れるこの作品は、印象派時代の代表作といえます。
・参考文献 
Wikipedia ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会

印象派の画家について詳しく知りたい方はこちらの記事もご覧ください。


【フィンセント・ファン・ゴッホ】

1853年〜1890年。
激動の人生を送ったことでも知られるフィンセント・ファン・ゴッホ。オランダのポスト印象派を代表する画家です。

鮮やかで大胆な色使い、厚塗りの力強いタッチが特徴。
日本の浮世絵の影響も受けており、多くの浮世絵版画を収集していたといいます。

彼を支えた弟テオとの関係、ゴーギャンとの共同生活、謎多き最期など、非常に興味をかき立てられる人物です。


【「ひまわり」1888年】

1888年から1890年のアルル滞在時に描かれた『ひまわり』。
花瓶に活けられたひまわりをモチーフに、ほぼ同じ構図で7枚制作しています。これはアルルの「黄色い家」に飾るためだったとか。

ひまわりというモチーフは、ゴッホにとってユートピアの象徴であったといわれています。
最も有名なのが4番目の作品ではないでしょうか。

5番目の作品は、東京のSONPO美術館に展示されています。
・参考文献
Wikipedia ひまわり

【サルバドール・ダリ】

1904年〜1989年。
スペイン・カタルーニャ出身、シュルレアリスムの代表的作家。
シュルレアリスムとは、無意識の世界や欲望、夢の世界など自分ではコントロールできない世界を表現しようとした芸術運動のこと。

ダリは、絵画だけでなく彫刻や版画、舞台美術、映像などでも活躍し多才ぶりを発揮しました。


【「記憶の固執」1931年】

ダリの、そしてシュルレアリスムを代表する作品ともいえる『記憶の固執』。
「柔らかい時計」とも呼ばれ、ダリを象徴するモチーフです。

ダリの故郷、カタルーニャ地方のクレウス岬と時間の異なる3つの時計が描かれています。

溶けていくカマンベールから着想を得たという柔らかい時計。
本来は硬い時計と柔らかいカマンベール。このように2つのイメージを重ね合わせる「偏執狂的批判的方法」という手法を確立しました。
・参考文献
Wikipedia 記憶の固執

【アンディ・ウォーホル】

1928年〜1987年。
アメリカのポップアートの旗手として、絵画や版画、ロックバンドのプロデュースや映画製作など幅広い分野で活躍したマルチアーティスト。

大学卒業後、商業デザイナーとして活動していましたがファインアートに転向。そして描かれたのが『キャンベルスープ缶』であり、ここにポップアーティスト、アンディ・ウォーホルが誕生しました。


【「キャンベルスープの缶」1962年】

ポップアートのテーマである大量生産、大量消費社会。それを象徴する作品の一つが『キャンベルスープ缶』といわれています。
32枚のキャンバスから構成されており、描かれているのは当時キャンベル・スープ・カンパニーが販売していた32種類のスープ缶。彼はスープが好きだったそう。

この作品には、大量生産が可能なシルクスクリーンという版画の手法が用いられています。
・参考文献
Wikipedia キャンベルのスープ缶

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【まとめ】

ここまで世界的に有名かつ現代でも人気のある画家12人について、簡単に解説してきました。
どの画家も作品も、一度は見聞きしたことがあったのではないでしょうか。
それぞれの画家に個性があり、突き詰めていくと非常に興味深いものがあります。

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