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青の画家・東山魁夷とは?昭和を代表する日本画家の生涯と代表作を紹介

日本の国民的な画家「東山魁夷」。風景画だけでなく障壁画やリトグラフ、画集やエッセイ、ヨーロッパへ紀行した単行本など数々の作品を残しています。今回は、そんな東山魁夷の略歴や世界観、代表作を合わせてご紹介しましょう。昭和を代表する日本画の功労者、東山魁夷の芸術をご堪能ください。

東山魁夷の略歴

 
東山は、太平洋戦争を経験しています。岐阜県への疎開や召集を受け、戦後の混乱も乗り越えました。39歳から画家として活躍し、多く作品を制作。ここでは魁夷の人生に迫り、誕生から文化勲章を受章するまでの略歴をご紹介していきます。

1908年:神奈川県横浜市に生まれる 

本名は新吉。神奈川県横浜市に生まれ、3歳の頃に神戸へ移住。豊かな自然の中で暮らし、幼い頃から絵を描き始めます。中学の恩師から画家になることを勧められ、1926年4月、東京美術学校(現在の東京芸術大学)日本画科へ入学し、作品の制作に没頭しました。夏に訪れた信州の風景に感動を覚え、このときの美しい景色がのちに東山の芸術へ影響を与えます。1929年に第10回帝展へ「山国の秋」を出品し、初入選を達成。それ以降、勢力的に風景画を描くようになります。

1931年:「魁夷」を雅号とする 

大学を卒業したあと、同術大の研究科に進学。日本画家:結城素明を師事し、雅号を「魁夷」とします。25歳で研究科を修了後、1933年8月に渡欧。10月、ドイツのベルリン大学(現在のフンボルト大学)外国語学部でドイツ語を学びながら、美術館巡りに力を注ぎました。1934年11月、文学部美術史科へ進学しましたが、「父が危篤」という知らせを受け、奨学金の支給を1年残したまま帰国。
1940年に日本画家:川﨑小虎の娘と結婚し、東北へスケッチ旅行に出ます。1941年、母が病に倒れ、翌1942年に父が他界。1945年に疎開したあと召集、戦争で母と弟を亡くし、熊本県で訓練を受けている間に終戦を迎えました。

1947年:≪残照≫が特選を受賞、風景画家としての決意

第3回日展に「残照」を出品。鹿野山から見た冬枯れの山が評価を得て特選を受賞し、それが日本政府に買い上げられたことで人気を博します。そして風景画家として歩むことを決意。1950年10月、第6回日展に出品した「道」も好評を得ました。まっすぐ伸びた1本の道。他に何も描かれていないからこそ、その風景に心を動かされるのかもしれません。本画を描く前にタイヘイ牧場へ宿泊し、スケッチしたと言われています。
1953年、大学の同窓で建築家の吉村順三に依頼し、自宅を建てました。東山はそこで50年以上創作を続け、さまざまな作品を世に送り出しています。

1956年:≪光昏≫が日本芸術院賞を受賞

第11回日展に出品した「光昏」は、日本芸術院賞を受賞。長野県にある秋の黒姫山を描いた作品は、夕暮れの荘厳な風景を切りとっています。幼い頃を過ごした神戸で、「東山魁夷個人展」の展覧会を開催。そのあと第12回日展に「松庭」を出品しました。1960年、宮内庁から依頼された壁画に知名度も高まります。1962年から、デンマーク・スウェーデン・ノルウェー・フィンランドを訪問。1965年には日本芸術院会員に任命され、日展の理事に就任します。1968年、皇居新宮殿の壁画「朝明けの潮」を完成させました。

1969年:文化勲章を受章、あわせて文化功労者に選ばれる

壁画「朝明けの潮」と「京洛四季展」の実力が認められ、毎日芸術大賞を受賞。4月~9月、夫婦でドイツやオーストリアの古城を訪問したあと文化勲章を受章し、文化功労者に選ばれました。1973年から、奈良県にある唐招提寺御影堂の障壁画「黄山暁雲」を制作。水墨で描かれた黄山には、中国を代表する景勝地の魅力が表現されています。東山が黄山を描いた理由は、スケッチで訪れた際に衝撃を受けたから。圧倒的な風景を眺め、中国を描くなら水墨画でしか表現できないと感じたのかもしれません。
1990年、長野県信濃美術館に東山魁夷館を併設。1999年に90歳で逝去しましたが、最後の日展へ出品した、雪の中に立つ1本の裸木を描いた「月光」を残しています。

東山魁夷の世界観

 
東山魁夷の作品には、人物が描かれません。しかし、特徴的な色使いやモチーフは存在し、その芸術は多くの人を魅了します。ここからは、こだわり抜いた独特の感性について解説しましょう。

人の心を掴む「東山ブルー」

風景画家として名高い東山は、「青の画家」とも呼ばれています。それは「東山ブルー」と称される青や緑で強調され、透明感ある空気と静けさを感じさせるからです。一瞬の見た目では西洋画の雰囲気を漂わせながらも、モチーフとなった日本の風景は、群青色や青緑色で神秘的に彩られます。古くから日本で親しまれてきた色を採用。日本人の心の奥にある崇高な信念を刺激し、不要なものを削り落とした純粋な青だからこそ、鑑賞者の心情に響くのかもしれません。

人物ではなく、風景画へのこだわり 

学生時代、長野の大自然に魅せられた東山は、多くの風景画を描きました。戦争での疎開体験が影響し、「自然の美しさや輝きに目覚めた」と言っても過言ではないでしょう。人と人との醜い争い。欲を満たしたい愚かな戦争に嫌気がさしていましたが、説得して辞めさせられる立場ではありません。それに比べ山や湖、渓谷や森は四季の変化に富み、どこまで行っても美しい。この素晴らしい風景を描くには岩絵の具がベスト。そして東山は風景を描くようになり、日本を代表する画家へ成長したのです。

東山魁夷の作品についてはこちらの記事もご参考になさって下さい。

東山魁夷の代表作

 
ではここで、東山魁夷の有名な代表作品をご紹介します。各地の美術館で展覧会も開催されているので、興味のある方は鑑賞してください。

「残照」1947年

風景画家として歩むきっかけになった「残照」は、手前の山を茶褐色、遠くにそびえるほど明るさを加えた青緑色と淡紅色で彩られています。夕日に照らされた山と影になった青紫色、明暗のコントラストを見事に表現。雲1つない夕方の空には、澄み切った空気も感じられるでしょう。冬山だからこそ、静寂に包まれた山の風景が心にしみるのかもしれません。

「道」1950年

青森県にある種差海岸の海岸線をモチーフにした「道」は、そこが海岸線とは思えないようなデザインです。描いたのは夏の早朝。牧場からのスケッチなので、本来そこには柵や放牧中の馬、正面の丘に設けられている灯台も描かれるはずですが、この作品には含まれていません。それは彼の「道だけ描いてみたら」という発想から生まれ、道の他には何も入れたくなかった風景を存在させたからでしょう。

「年暮る」1968年

京都の冬。京洛四季の1つを描いた作品です。去り行く年を偲び、やがて訪れる新しい年への期待。そんな時間に包まれた京都の街の風景を描きました。静かに降り積もる雪と、屋根の下で繰り広げられる人々の生活。止まることのない季節の流れに、庶民の暮らしをイメージさせる風景を描写。遠くに響く除夜の鐘、「行き交う年もまた旅人である」という思いが込められています。

「白馬の森」1972年

白馬シリーズの代表作です。森の中にたたずむ白馬。モチーフとされる場所は、存在しません。この森は東山の空想の中にだけ存在しますが、元々は富士山5合目にあるブナ原生林のスケッチを参考にしました。心の奥にある森を描いたとされ、東山は「白い馬は心の祈りです」とも話しています。驚くほど神秘的で美しい青。当時は、社会に不安や葛藤が渦巻いていました。そんな世の中を救いたい気持ちが、白馬となり表されたのではないでしょうか。

10年を費やした大作「唐招提寺御影堂障壁画」とは?

唐招提寺御影堂の障壁画は、「山雲」「濤声」「揚州薫風」「黄山暁雲」「桂林月宵」を合わせた5部。襖絵と床の壁、全部で68面を使い、すべてつなげると全長83mにおよぶ大作です。「山雲」は幽玄な世界。雨上がりの山と立ち上る霧を墨絵の色調で描き、深い景観を再現しています「濤声」は、打ち寄せる波と岩礁を描きました。力強く押し寄せる白波は、本当の海の姿を表現しているかもしれません。「揚州薫風」は中国揚州の風景。西湖の岸や湖中のお堂、五亭橋をイメージし、柳を加えて描かれました。「黄山暁雲」は、黄山を描いた風景。「桂林月宵」は、中国広西チワン族自治区を流れる河の月夜を描いた作品です。桂林の山水をイメージしたもので、背景の山と河に浮かぶ小舟、すべてに中国らしい光景が映し出されています。

御影堂の一般公開は、毎年6月6日を含む3日間のみ。この特別拝観は年によって変更される場合もあるので、必ずホームページなどで確認してください。

獏は東山魁夷作品の買取を行っております

東山魁夷の作品をお持ちで、その価値を知りたい方は専門業者の査定を受けましょう。近年は「緑響く」がCMモチーフとなり、多くの作品価値が見直されています。正しい価値を知るためにもいかがでしょうか?

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遠方のお客様は郵送・宅配買取も可能です。電話・メール・LINEにて作品の詳細をお伝えください。無料査定後、ご納得いただければ必要書類をお送りしますのでご記入の上、着払いで郵送してください。到着後、コンディションを確認し最終的な査定額をお
伝えいたします。金額にご納得頂ければ振込という流れになります。

まとめ

 
ご売却を検討されるなら、美術買取専門店「獏」へご相談ください。「部屋に飾っておきたい」「手放したくない」という方は、査定だけでもかまいません。東山魁夷の作品なら、納得できるまで確かめましょう。それを確認したうえで、「今すぐ売りたい」「なるべく高く買取して欲しい」など、ご都合に合わせてお問い合わせください。
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