鼈甲(べっ甲)ってどんなもの?その魅力と歴史を解説
べっ甲というと、アクセサリーや眼鏡のフレームをイメージする人が多いでしょう。ではべっ甲は何から作られているかご存知ですか。加工しやすい素材だったことでさまざまな製品が生まれたべっ甲細工。独特の色合いと光沢が印象的で、見た目にも滑らかさが伝わってくるべっ甲、その魅力と歴史に迫ります。鼈甲(べっ甲)とは
べっ甲とは、温かい海に生息するウミガメの一種である「タイマイ」の甲羅を加工して作られた製品のこと。使われる部位によって色合いや模様はさまざまです。また、古くから道具の表面を飾る装飾部分の素材として使われてきました。希少!べっ甲の原材料
南方の海域やカリブ海、インド洋などに生息しているタイマイですが、甲羅の中でも「背甲」「腹甲」「縁甲」、そして価値が高いといわれている「爪甲」が原材料として使われています。しかし現在ではワシントン条約により輸出入が禁止されているため、禁止前に確保していた材料を使って作っているという現状があります。そのため、ますますべっ甲の希少性は高まっているといえます。様々な模様 べっ甲の種類
べっ甲には、色味や模様によりさまざまな種類があります。中でも最高級品とされているのが、腹甲および縁甲(爪甲)で作られた「白甲」と呼ばれるものです。非常に美しく黄味がかった上品で深い透明感が特徴で、飴色と聞くと想像しやすいかもしれません。採れる量が少ないことと、手間がかかるという点で価値が高くなります。
一般的にべっ甲のイメージである、まだら模様の甲羅を活かして作られたものを「茨布甲(ばらふこう)」といいます。飴色の部分が多いほど価値が上がり、その比率や斑点の鮮明さにより「並茨布甲」「中茨布甲」「上茨布甲」「特上茨布甲」と呼び分けられています。
さらのその斑点の濃茶色の部分のみを使ったものを「黒甲」といいます。重厚で高級感があり、中でも真黒(しんくろ)と呼ばれる黒一色のべっ甲は茨布甲より価値が高いとされています。
べっ甲の歴史
もともと日本近海ではほとんど見ることのなかったタイマイ。では、べっ甲は一体どこから日本にもたらされたのでしょうか。その歴史は、飛鳥・奈良時代にまでさかのぼります。飛鳥奈良時代のべっ甲
飛鳥時代、遣隋使として中国に渡った小野妹子によりもたらされた献上品が、日本における最古のべっ甲といわれています。中国では、6世紀末頃にはすでにべっ甲を加工して作るべっ甲細工の技術が生まれており、製品も作られていました。奈良の正倉院宝庫には「螺鈿紫檀五絃琵琶」や「玳瑁如意」など、数点のべっ甲製品が保存されています。江戸時代のべっ甲
べっ甲細工の技術は16世紀にポルトガルに伝わり、17世紀以降オランダ船や唐船との貿易によって長崎に伝わりました。こうしてべっ甲の国内生産が始まると、大阪、江戸へと伝わっていきます。当時、亀(タイマイ)は鶴とともに長寿の印でありめでたい品とされていたこともあり、江戸時代には眼鏡のフレーム、くし、かんざし、帯留め、ブローチなどが作られ、特に華やかな元禄の時代に流行しました。ただ、贅沢を禁じる「奢侈禁止令」がたびたび出されたため、高価なべっ甲は庶民には手に入りにくいものだったようです。明治時代のべっ甲
1859年に開港条約が締結されると、日本の港に各国の船が頻繁に出入りするようになりました。そして国内で消費していたべっ甲を、日本の伝統工芸品として輸出するようになっていきます。となると西洋風のデザインを取り入れる必要が生じます。結果的にこれがべっ甲技術の発展につながっていったのです。べっ甲三大生産地とは
長崎に伝わったべっ甲の流通拠点となった大阪、東京。この長崎、大阪、東京が今日のべっ甲の三大生産地となっており、それぞれ特色のある細工が発展しました。この三大生産地で、全体の半数以上の生産額を占めています。江戸べっ甲
江戸べっ甲は東京都、そして国の伝統工芸品に指定されており、職人の技術は張り合わせの工程が一番の腕の見せ所。この張り合わせの技術が江戸の元禄期に伝えられ、複雑な形のべっ甲細工が生まれました。現在でも多種多様な製品を作り続けていますが、中でも多いのがべっ甲眼鏡です。べっ甲はきちんと手入れをすれば長く愛用でき、年が経つごとになじんでくる製品です。大阪べっ甲
なにわべっ甲は大阪府伝統工芸品に指定されており、繊細な透かし彫り技法に代表される優れた彫刻技術が特徴といえます。素材をくり抜き、模様の間をレースのように仕上げる技術は熟練ならでは。特にかんざしやアクセサリーにこの技法が用いられています。現在でも伝統的な技術を磨き続け、現代的なデザインのアクセサリーなどが作られています。長崎べっ甲
江戸時代、長崎は貿易を行っていた唯一の窓口であり、材料が手に入りやすくべっ甲の発展の中心地となりました。長崎べっ甲の特徴は、緻密で精巧な技法にあり、職人たちの経験と技が息づいています。髪飾りやアクセサリーなどのほかに、日用品も多数製造しています。剥製や宝船などの大型の置物を製造しているのも魅力の一つです。多種多様なべっ甲細工
長い歴史の中で、多種多様なべっ甲細工が作られてきました。江戸時代までは宝物や儀式で使う道具、そしてくしやかんざし、西洋向けの製品という変遷をたどり、現在では近代的な手に取りやすいアクセサリーや小物などが作られています。国宝級!?歴史的べっ甲細工
おもに工芸品として使用されてきたべっ甲ですが、国宝や重要文化財になっているものも存在します。平安時代の作品である「玳瑁如意」は、孫の手のような形の仏具で、板状の玳瑁の先端に五本の指を刻んだものです。僧が威儀を正すのに用いられました。徳川家康公の眼鏡として有名な目器。これは耳にかけるテンプルがなく手持ちタイプの眼鏡でした。飴色が美しい老眼鏡だったそうです。
鼈甲製春蘭飾棚は春蘭の花を螺鈿で、そして葉をべっ甲で表したものです。同じく鼈甲製菊花鉢植棚飾も鼈甲で作られた、まるで本物のような菊が見事な作品です。
豪華!べっ甲細工の身近な道具
身近な製品にはネックレス、ピアスやイヤリング、ブローチなどのアクセサリーや、かんざし、扇子、帯留めなどの和装小物、眼鏡や時計などがあります。男性にも取り入れやすいネクタイピンやボタンなどもあり、いずれもデザイン性の高いおしゃれな小物です。文房具、耳かき、靴ベラ、スプーン、フォークなどの日用品、ギターのピックまであるのには驚かされます。このように時代が移り変わっても、和装・洋装を問わない装飾品として、そして日常に溶け込むさまざまな製品を生み出し続けています。
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時代に合わせ、受け継がれてきた技術を活かし作られてきたべっ甲製品。ただ、模造品も多く作られたため、見極めが非常に難しい製品であるのも事実です。お手元に価値を知りたい、売却を考えているというべっ甲製品はございませんか。ありましたらぜひ一度「獏」にご相談ください。正しい価値を、正しい金額でご提案させていただきます。