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池大雅の代表作品を解説|世界観と鑑賞可能な美術館も紹介

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池大雅(いけのたいが)は江戸時代に活躍した文人画家です。文化経済が著しく発展した江戸中期に生を受けた池大雅は自由を愛する清廉潔白な人柄であったとされ、その人柄が垣間見えるような数々の名品を残しました。

今回は、木村蒹葭堂(きむらけんかどう)や青木夙夜(あおきしゅくや)といった後身を育てつつ自らも創作活動に打ち込み、文人画の発展に大きく貢献した池大雅について解説します。



池大雅の代表作品

福原五岳_池大雅像 池大雅の弟子、福原五岳の手による『池大雅像』
出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

今日池大雅の作品は大変高く評価されており、国宝や重要文化財に指定されているものも多くあります。まずは池大雅の作品の中でも極めて有名な5点の代表作品を紹介します。



楼閣山水図|国宝

池大雅_楼閣山水図_左隻 楼閣山水図 左隻
池大雅_楼閣山水図_右隻 楼閣山水図 右隻
出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

『楼閣山水図』は池大雅が40代前半に制作した作品です。中国清時代初期の画家である邵振先(しようしんせん)の作品『張環翁祝寿画冊(ちょうかんおうしゅくじゅがさつ)』を原図として制作された六曲一双の屏風です。右隻には洞庭湖を望む岳陽楼を中心に湖水が長江に注ぐ様子、左隻には琅琊山(ろうやさん)の酔翁亭が描かれています。

制作年 江戸時代・18世紀
寸法 各168.7×745.2
所在地 東京国立博物館

*e国宝 / 楼閣山水図屏風


十便十宜図(十便図)|国宝

池大雅_釣便図 十便十宜図のうち、釣便図
出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

『十便十宜図(じゅうべんじゅうぎず)』は池大雅と与謝野蕪村の合作です。清時代の文人李漁が詠んだ『十便十二宜詩』が元になっています。尾張国の鳴海宿に住む江戸中期の俳人、下郷学海(しもさとがっかい)からの依頼で制作されました。

田舎暮らしにおける十の便利なところを描いた『十便図』を池大雅、十の良いところを描いた『十二宜図』を与謝野蕪村が手がけました。美術品のコレクターとしても知られる作家の川端康成が所有していたことでも知られます。

制作年 1771(明和8)年
寸法
所在地 公益財団法人川端康成記念会

*文化庁 / 国指定文化財等データベース / 紙本淡彩十便図〈池大雅筆/〉 *文化庁 / 国指定文化財等データベース / 紙本淡彩十宜図〈与謝蕪村筆/〉


山水人物図|国宝

高野山にある遍照光院 (へんじょうこういん)には、『山水人物図』と総称される池大雅の10枚の襖絵があります。そのうちの4枚である『山亭雅会図』は、晩年の傑作とも言われる特に有名な作品です。『山亭雅会図』には山中の庵にいる3人の君子が外を眺めている様子が描かれています。

制作年 江戸時代・18世紀
寸法
所在地 高野山遍照光院



陸奥奇勝図|重要文化財

池大雅が20代半ばに制作した『陸奥奇勝図(むつきしょうず)』は、日本三景の一つである松島の一帯を描いた作品です。瑞巌寺や五大堂といった名所を薄い色合いで神秘的に表現しています。冒頭にある「陸隩奇勝」という題字は池大雅と親交の深かった儒学者の高芙蓉によって書かれました。また、巻末には制作の経緯を説明する跋文が記されています。

制作年 1749(寛延2)年
寸法 31.7×677.7
所在地 九州国立博物館

*e国宝 / 陸奥奇勝図巻


十二月離合山水図|重要文化財

『十二月離合山水図』は池大雅が40代半ばごろに制作した六曲一双の屏風です。一幅ずつ鑑賞しても、全体を一つの絵画として鑑賞しても楽しめるユニークなつくりとなっています。池大雅はこの作品を、1月から12月までのそれぞれの絵を屏風に貼り付けて制作しました。

春の湖と秋の山々を対比する構成や色の点で表現された柳の葉がこの作品の見どころで、池大雅の黄金期における卓越した表現力が見て取れます。

制作年 江戸時代・18世紀
寸法 各138.2×57.4
所在地 出光美術館

*出光美術館 / 出光コレクション / 絵画 / 文人画 / 十二ヵ月離合山水図屏風


池大雅の作品の世界観


次に、池大雅の作品についてもう少し広い角度から迫ってみましょう。池大雅の作品が持つ世界観や特徴について紹介します。



登山や旅行を好み、実際に見た景色を数多く描いた

池大雅は、世間一般の肩書や名誉にとらわれない、古の君子のごとき高潔さと雅さを持つ人柄だったと言われています。自由に登山や旅行に出かけながら、さまざまな文化人と交流し、心動かされた風景を作品に残しました。

池大雅の風景画は実際に見た風景を描いたものですが、リアルさだけを追い求めて描かれたわけではありません。中国の絵画、特に南画と呼ばれる文人画の影響を受け、それに自分なりの解釈を加えて描かれました。このような特定の場所の写生に基づく山水画のことを「真景画」と呼びます。



中国絵画の画法を踏襲しつつ、独特な作風で新たな日本文人画家としての地位を確立

池大雅は江戸時代における文人画の巨匠です。江戸中期における多くの文化人は中国の文化に大変憧れを持っていました。池大雅もその例にもれず、中国絵画の技法を踏襲しつつ数々の名作を生み出しています。

さらに、池大雅は土佐派や琳派から影響を受けた装飾技法なども積極的に取り入れました。池大雅の作品は、彼自身のおおらかな人柄が垣間見えるようなやわらかい描線や明るい色彩に加え、優れた空間構成力が見られるのが特徴であり魅力といえるでしょう。



池大雅の作品を現在鑑賞できる美術館・博物館


池大雅の作品は全国の美術館に数多く所蔵されています。今回はその中でも国宝や重要文化財を含む一級品が見られる美術館を三つ紹介します。



東京国立博物館

東京国立博物館 出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

東京国立博物館は本館、平成館、東洋館、法隆寺宝物館、表慶館、黒田記念館の6つの展示館から構成される日本屈指の大型博物館です。東京国立博物館では国宝の『楼閣山水図屏風』を含む、21点もの池大雅の名作を所蔵しています。

住所 〒110-8712 東京都台東区上野公園13-9
アクセス 〔公共交通機関〕
・JR上野駅公園口、または鶯谷駅南口下車 徒歩10分
・東京メトロ 銀座線・日比谷線上野駅、千代田線根津駅下車 徒歩15分
・京成電鉄 京成上野駅下車 徒歩15分
・台東区循環バス「東西めぐりん」で「上野駅入谷口」もしくは「JR上野駅公園口」バス停から「上野公園経由・三崎坂往復ルート」のバスに乗車し、「東京国立博物館前」バス停下車。
〔自家用車等〕
・首都高速道路 上野線 上野出入口 5分
※東京国立博物館には駐車場・駐輪場がないため、近隣の駐車場を利用
営業時間 9時30分~17時00分(入館は閉館の30分前まで)
※月曜日は休館(ただし月曜日が祝日または休日の場合は開館し、翌平日に休館)
※2023年12月19日(火)、年末年始(2023年12月25日(月)~2024年1月1日(月・祝))は休館。その他、臨時休館・臨時開館あり。
料金 一般1,000円、大学生500円
※特別展は別料金。公式HPの特別展案内ページ参照
公式HP https://www.tnm.jp/



京都国立博物館

京都国立博物館 出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

京都国立博物館は、京都の有形文化財を中心に扱い日本の伝統文化を守りつつ国内外にその魅力を発信することを目的としています。京都国立博物館では重要文化財の『漁楽図』や『洞庭赤壁図巻』を含む全5点の池大雅の名作をコレクションしています。

住所 〒605-0931 京都市東山区茶屋町527
アクセス 〔公共交通機関〕
〇JR
・JR京都駅下車、D2のりばから市バス206・208号系統にて博物館三十三間堂前下車、徒歩すぐ
・JR京都駅下車、京都駅八条口のりばからプリンセスラインバス(京都女子大学前行き)にて東山七条下車、徒歩1分
・JR京都駅からJR奈良線にて東福寺駅下車、京阪電車にて七条駅下車、東へ徒歩7分
・JR京都駅下車、七条通を東へ徒歩20分
〇阪急電車
・京都河原町駅下車、京阪電車祇園四条駅から七条駅下車、東へ徒歩7分
・京都河原町駅下車、四条河原町から市バス207号系統にて東山七条下車、徒歩3分
・京都河原町駅下車、四条河原町からプリンセスラインバス(京都女子大学前行き)にて東山七条下車、徒歩1分
〇その他の電車・バス等に関しては公式HPを確認
〔自家用車〕
・名神高速道路 京都東IC 出口から20分(駐車場は三井のリパーク京都国立博物館前)
・駐車場は有料
・公道に駐停車しての入庫待ち不可
営業時間 展示内容により異なるため公式HPを参照のこと
料金 展示内容により異なるため公式HPを参照のこと
※「特別展」開催期間に「名品ギャラリー(平常展示)」のみの観覧不可
公式HP https://www.kyohaku.go.jp/jp/




出光美術館

帝劇ビル(出光美術館) 出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出光美術館は出光興産の創業者、そして美術館創設者でもある出光佐三(1885-1981)が70余年の歳月をかけて蒐集した美術品を展示・公開する美術館です。皇居のお濠に面して建てられた帝劇ビルの9階に位置します。出光美術館には池大雅の『十二月離合山水図』や、池大雅とともに日本文人画の巨匠と称される与謝野蕪村の『山水図屏風』を所蔵しています。

住所 〒100-0005 東京都千代田区丸の内3-1-1 帝劇ビル9階
(出光専用エレベーター9階)
アクセス ・JR「有楽町」駅 国際フォーラム口より徒歩5分
・東京メトロ有楽町線「有楽町」駅/都営三田線「日比谷」駅 B3出口より徒歩3分
・東京メトロ日比谷線・千代田線「日比谷」駅 有楽町線方面 地下連絡通路経由 B3出口より徒歩3分
営業時間 午前10時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
※月曜日、年末年始、展示替期間は休館(ただし月曜日が祝日および振替休日の場合は開館、翌日休館)
料金 一般1,200円、高・大生800円、中学生以下無料
公式HP http://idemitsu-museum.or.jp/




池大雅の作品の買取相場


池大雅は文人画の巨匠として広く知られ、その作品は国宝や重要文化財に認定されているものが数多くあります。作品が美術館にもコレクションされている非常に有名な作家のうちの一人なので、買取金額も大変高額となることが多いでしょう。

買取時には本人の作品であるということはもちろん、保存状態などが大きく影響します。しかしながら、しっかりとした来歴がないと真作として買取するのが難しい作家と言えます。仮に作品・来歴共に文句なしの作品であれば、数十万円、なかには百万円前後となる場合もあるでしょう。



池大雅の略歴


美術鑑賞の際には、作品をより深く理解するために作家の略歴を押さえておくのがおすすめです。ここからは池大雅の略歴について軽くご紹介しましょう。

池大雅は1923(享保8)年、京都に生を受けます。平和な時代が続き文化や経済が大きく発展した江戸時代中期のことでした。



1730年:書で才能を開花させ宇治の万福寺で披露した作品が絶賛される

池大雅は裕福な町人の家庭に生まれましたが、4歳のときに父親を亡くします。そのため池大雅は母親との二人暮らしでした。母親が大変教育熱心であったため、池大雅は幼いころから漢文や書道に親しんで育ちます。

7歳の時に宇治万福寺で書道を披露し、十二代目住職の杲堂元昶(こうどうげんちょう)から絶賛され、神童として評判になります。



1736年:父の通称「菱屋嘉左衛門」を襲名し扇屋を開く

池大雅は1736(元文元)年、15歳のときに銀座役人中村氏の下役を務めていた父親の通称「菱屋嘉左衛門」を襲名し、扇屋を開きました。禅僧との交流で大陸の文化に触れていた池大雅は、『八種画譜』など中国の木版画譜を通じて絵を独学しました。そして扇に文人趣味の絵を描くことで生計をたてるようになったのです。

江戸時代初期に中国から日本に伝来した『八種画譜』は、中国画の教科書のような役割を果たし、狩野派や土佐派などを含む多くの画家に影響を与えました。



1740年頃:柳沢淇園(柳里恭)に才能を認められ文人画を学ぶ

やがて池大雅は日本における文人画の先駆者として知られる柳沢淇園(やなぎさわきえん。のちに柳里恭と改名)に才能を認められ、本格的に絵を学ぶようになります。柳沢淇園は大和郡山藩で政治にかかわりながら絵画表現を追求した文人画家です。

柳沢淇園や琳派の画家などから積極的に技法を取り入れて自らの画風を模索するうちに、池大雅は新進気鋭の画家として注目されるようになりました。



1748~1751年:各地を遠遊し画家としての感性と人格を磨く

池大雅は20代半ばを過ぎると江戸、東北地方、北陸地方などを歴訪し、さまざまな著名人と交流を持ちながら自らの作風を追及しました。なかでも祇園南海(ぎおんなんかい)という文人画家や、白隠慧鶴(はくいんえかく)という禅僧との交流は広く知られています。

さらにこの頃、祇園の歌人の娘、町(まち)と結婚して、京都の真葛原(まくずがはら)に居を定めました。その後も中国から伝来したさまざまな作品を通して学びを深め、30代になる頃には文人画としての地位を確立、弟子をとって指導も行うようになります。



1771年:日本近世の文人画の象徴である与謝蕪村と『十便十宜図』を合作する

池大雅は40代で自らの作風をきわめ、この頃には多くの名作を残しました。特に1771(明和8)年に与謝野蕪村とともに制作した『十便十宜図』は大変高く評価されており、川端康成が蒐集していたことでも有名です。与謝野蕪村は俳人としても有名ですが文人画家としても知られ、池大雅と並び江戸時代中期に活躍しました。

熱心に制作に励んだ池大雅ですが、1776(安永5)年、54歳で若くしてこの世を去りました。



池大雅に関する豆知識(トリビア)


最後に池大雅に関する意外なトリビアを二つ紹介して締めくくりましょう。



妻は画家として活躍した池玉瀾で、夫婦仲も円満だった

池大雅の妻である町は大雅から絵を学び、のちに池玉瀾(いけのぎょくらん)と名乗って女流の文人画家として活躍しました。町の家系は代々才色兼備で知られ、祖母や母も歌人でした。池大雅の作風を受け継ぎながらも温和・繊細な傾向にあるといわれる池玉瀾の作品は、静岡県立美術館などで鑑賞できます。



筆の代わりに指を用いて描く指頭画を描いた経験も持つ

池大雅は自らの作風を模索していた20代ごろに筆の代わりに指で描く指頭画(しとうが)にも挑戦しています。指頭画は指画、指墨などとも呼ばれる中国唐代に生まれた水墨画の技法で、日本では柳沢淇園が初めて用いました。その影響を受けて池大雅も指頭画を制作するようになり、『五百羅漢図』などの作品を残しています。

毛筆では表現できない独特の描線や墨の濃淡が楽しめる『五百羅漢図』は、京都国立博物館にて鑑賞できます。



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