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瀬戸物の特徴「せともの」ってこんなもの!その歴史と魅力を解説

陶器や磁器といった器を「瀬戸物(せともの)」と呼ぶことがあります。

瀬戸物とは文字どおり「瀬戸」の「物」。瀬戸で作られた焼き物のことで、かぎられた地域で作られる製品です。そんな瀬戸物が、焼き物の器の代名詞的存在として定着しているのはなぜでしょうか。

今回は、世界的にも有名な瀬戸物の特徴と歴史、そしてその魅力を紹介します。



日本六古窯の一つ「瀬戸焼」とは?

瀬戸物は愛知県瀬戸市やその周辺で作られた焼き物のことで、もともとは瀬戸焼を指します。
瀬戸で焼き物作りがはじまったのは平安時代の中期。これが日本の陶器の起源とされており、越前・信楽・丹波・常滑・備前と並んで「日本六古窯」のひとつに数えられます。

江戸時代の後期には、磁器も作られるようになりました。ひとつの地域で陶器と磁器の両方が作られるのは全国的に見てもめずらしいことです。

時代の流れに合わせて新しい技術や文化を取り入れて変化しつづけたことから、瀬戸物が陶磁器全般を指す言葉として定着したのかもしれません。

瀬戸焼の特徴

瀬戸焼の特徴は、色とりどりの釉薬(ゆうやく・うわぐすり)を用いた絵や模様の美しさです。

釉薬とは、器の表面に塗る薬剤や融けた薬剤でできたガラス質の層のことです。原料には灰や粘土、顔料などを使用します。器の表面を覆うガラス質の層のおかげで水がしみ込まなくなり、光沢や色味が生まれます。

今ではごくあたりまえの技術ですが、鎌倉時代に釉薬を使っていたのは瀬戸焼だけでしたから、貴重な存在だったのは間違いありません。

陶土、粘土から見る瀬戸焼の特徴

瀬戸焼の特徴のひとつは焼き上がりの白さでしょう。

一般に、鉄分の多い土は焼くと赤褐色になります。瀬戸焼に使われる陶土や粘土は鉄分をほとんど含みません。焼き上がりが白いおかげで、釉薬で描かれた絵や模様が美しく引き立つのです。

また陶土も粘土もやわらかくて加工しやすく、耐光性や耐火性にも優れています。

良質な陶土や粘土が豊富に得られることが瀬戸焼の基礎となっているのです。

陶器(土もの)の特徴

瀬戸で古くから作られてきた陶器は、おもに「陶土」と呼ばれる粘土で作られることから「土もの」とも呼ばれます。

瀬戸では古くから釉薬を使った陶器が作られていて、時代とともにさまざまな釉薬が発明されました。

もっとも古い藁などの植物の灰を原料にした灰釉(かいゆう)のほか、鉄釉(てつゆう)、黄瀬戸釉(きせとゆう)、織部釉(おりべゆう)などがあります。

磁器(石もの)の特徴

磁器は陶石を砕いた粉に粘土を加えて原料とします。陶器に比べて粘土の割合が低く、そのため「石もの」とも呼ばれます。

陶石にはガラスの原料となる珪石や長石が多く含まれており、焼き上がりの素地は高密度で硬く、水をほとんど吸いません。また、薄く作れて割れにくいのも特徴です。

瀬戸焼では、焼くと藍色に発色する顔料「呉須(ごす)」などで絵付けをほどこした「瀬戸染付焼」が知られています。

世界的にも希少、1000年続く瀬戸焼の歴史

1000年を超える歴史を持つ瀬戸焼。その長い歳月のあいだ、瀬戸で焼き物の生産が途切れたことはありません。

それは変化する社会情勢や人々の暮らしに寄り添い、常に求められる製品を生み出しつづけたことの証でもあります。これだけの歴史の古さ、長さを持つ焼き物は、世界的に見ても瀬戸焼以外にないと言われています。

ここからは、そんな瀬戸焼の歴史を紹介していきます。

瀬戸焼はこうして始まった

本格的な灰釉陶器の生産が瀬戸ではじまったのは平安時代中期ですが、焼き物が作られはじめたのはさらに数百年前の古墳時代です。
瀬戸の南に位置する猿投窯(さなげよう)で朝鮮から伝わった須恵器(すえき)の生産がはじまったのが5世紀後半。日本屈指の窯業地域に発展します。猿投窯では9世紀になると人工的に施釉した灰釉陶器が生まれました。

そして、10世紀には瀬戸・広久手古窯跡群(ひろくてこようせきぐん)でも灰釉陶器の生産されるようになりました。これが瀬戸焼のはじまりです。

鎌倉時代から室町時代の瀬戸焼

日宋貿易が盛んになった平安から鎌倉の時代、中国産の陶器が大量に流入した影響で国内産の灰釉陶器は大きな打撃を受けました。

その一方、室町時代にはのちに千利休によって大成される侘び茶がおこり、頻繁に茶会が開かれるようになります。使われる茶道具が中国産から国内産に代わり、多くの茶人の要求に応えて発展を遂げた瀬戸焼は人気を集めました。

平安時代の終わりから室町時代中期にかけてのこの時期に作られた陶器を「古瀬戸(こせと)」と呼びます。

江戸時代初期の瀬戸焼

安土桃山時代を経て江戸時代に入ると、伊万里焼とも呼ばれる有田焼の磁器が急速に発展。江戸時代後期には瀬戸でも磁器の生産がはじまったものの、有田磁器にはおよばず衰退していきます。

しかし、瀬戸磁器の祖とも呼ばれる加藤民吉が九州で学んだ磁器の技法を持ち帰ったのを機に、瀬戸焼はかつての勢いを取り戻しました。そしてこれ以降、瀬戸では陶器と磁器の両方が生産されるようになったのです。

江戸後期から明治までの瀬戸焼

江戸時代の後期、瀬戸の磁器は繊細で美しい絵付けをほどこした瀬戸染付を中心に発展します。このため、瀬戸では磁器を「新製焼」あるいは「染付焼」と言います。

一方、陶器は素朴で重厚な石皿や馬の目皿といった独自のデザインを生み出し、庶民の日用品として広く普及しました。こちらは「もともとの仕事」という意味合いと伝統を受け継ぐ誇りを込めて「本業焼」と呼ばれます。

明治時代に入ると機械化が進められ、薪の代わりに石炭や重油が使われるようになり、瀬戸焼は大量生産の時代を迎えます。

万国博覧会などへの出品や輸出も盛んとなり、同時に海外から技術も取り入れられるようにもなりました。こうして、「せともの」の名は日本国外にも広く知られるようになったのです。

現代の瀬戸焼

明治以降、新しい技術や製品の研究開発がおこなわれ、茶碗や皿をはじめとする食器類だけにとどまらず、タイルや碍子、人形といった多様な焼き物が登場します。

また、機械化による工業製品としてだけでなく、工芸品や美術品としての価値も生み出され、やがて「瀬戸で作れないものはない」と言われるほどにまで成長します。その後、世界恐慌や大戦という荒波を受けつつも、戦後は急速に復興しました。

現在は先端科学技術を用いたファインセラミックスのジャンルにも進出。時代の要求に応えて進化しつづけています。

瀬戸焼と「せともの」

冒頭にも書いたように「せともの」は瀬戸焼のことであり、同時に陶磁器全般を指す言葉としても使われています。

これは瀬戸が長い歴史を持つ焼き物の一大産地だからです。同時に、私たちの生活に密着する食器から工芸品、芸術品をはじめ、さまざまな種類の製品を供給してきたからこそとも言えます。

「日本三大陶磁器」にも数えられる瀬戸焼は、現在においても新しい焼き物を生み出しつづけているのです。

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まとめ

瀬戸焼などの陶磁器の売却をご検討の際には、お気軽に美術品買取専門店「獏」までお問い合わせください。

骨董品、古美術としての価値もある「古瀬戸」や「織部」「黄瀬戸」はもちろん、無銘のものでも意匠や状態によっては買取可能です。当社では経験豊富なスタッフが丁寧に査定致します。査定は無料でおこなっておりますので、どうぞお気軽にご相談ください。

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