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松本明慶の作品の値段相場を紹介|代表作品や略歴も解説

松本明慶は「平成の大佛師」として広く知られる京佛師です。戦後の困窮のなか少年時代を過ごし、弟の死をきっかけに佛師の道を歩み始めました。そんな松本明慶の制作した「みほとけ」は迫力と慈愛を同時に持ち合わせています。

今回は、全国の寺に大佛を奉納している松本明慶について、その作品の世界観や買取価格などを幅広く紹介します。



松本明慶の作品の買取値段相場


松本明慶の作品は、その写実性の高さや慈愛のある表情などから大変人気を集めています。作品のサイズや保存状態によって大きく価値が変わってきますが、基本的にはサイズが大きく保存状態のよいものほど高額になるでしょう。

高さが20cmを超えると市場における流通量が下がるため、価値が高まります。60cmを超える大型作品は、状態がよければ100万円を超える場合もあるでしょう。反対に、サイズが大きくてもひびや色落ちのあるものは価値が下がります。



松本明慶の作品を高い値段で買い取ってもらう方法


握手 出典元:Pixabay
松本明慶の作品を高額で買い取ってもらうには、次のようなポイントを押さえておく必要があります。まずは作品に付随するもの、例えば署名や落款が入った箱や説明書きなどを一緒に見積もりに出せるよう準備しておきましょう。

次に、1社だけでなくいくつかの業者で見積もりを取ることが大切です。松本明慶の佛像に限らず、美術品や骨董品は業者の知識や鑑定眼の有無によって大きく買取価格が変わってきます。



入手直後であれば綺麗な状態で買取依頼できるよう保存環境に気を遣う


松本明慶の佛像は保存状態によって大きく買取価格が変わるため、貴重な作品を末永く楽しむために、そしていつか手放すことになったときのためにも保存環境には十分注意しておきましょう。

乾燥によるひび割れやカビの発生等を防ぐには、高温多湿な環境は避け、なるべく温度や湿度が一定になるように配慮することが重要です。色落ちや内部の劣化を防ぐためにも直射日光の当たらないところに飾りましょう。

ほこりなどが気になる場合は乾いた布で優しく拭きます。細かい部分はやわらかい刷毛や筆を使うとよいでしょう。手入れをするときには素手では触らず、手袋を使ってください。



実績のある美術品買取の専門店へ買取を依頼する


美術品や骨董品は業者の知識や鑑定眼の有無によって大きく買取価格が変わるため、信頼のおける業者に依頼することが非常に大切です。松本明慶の佛像なら、美術品買取の専門店へ依頼すると安心です。

美術品買取専門店の株式会社獏は、佛像やその他彫刻等の鑑定経験が豊富にあるため松本明慶の佛像についても多角的な評価ができます。売却を検討している方がいらっしゃいましたら、株式会社獏にぜひお声かけください。ご希望によりLINE査定も可能です。



松本明慶の代表作品を解説


松本明慶が手がけているのは個人で鑑賞するための佛像だけではありません。ここでは寺に奉納された松本明慶の大佛のなかから、最も広く知られる代表作品を3点紹介します。



福王寺 不動明王坐像


福王寺にある不動明王坐像は松本明慶が制作した初めての大佛です。1977(昭和52)年の落雷による火災でそれまで堂内に安置されていた「立木仏・不動明王像」が焼けてしまい、それを受けて制作されました。松本明慶の「不動明王坐像」の中には火災で焼けた不動明王像の一部が胎内佛として納められています。

制作年 1981(昭和56)年
高さ(材質) 総高6.1メートル(桧)
所在地 広島県広島市安佐北区可部綾ヶ谷251



最福寺 大辨財天坐像

松本明慶_大辨財天坐像 出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
最福寺の「大辨財天坐像」は松本明慶、そして松本明慶工房の職人たちが11年の歳月をかけてつくりあげた世界最大級の木造大佛です。松本明慶は「一世一代のものにしたい」という気持ちでこの大佛に取り組みました。最福寺では2000(平成12)年の落慶法要より現在にいたるまで、日々護摩行が行われています。

制作年 2000(平成12)年
高さ(材質) 総高18.5メートル(桧葉)
所在地 鹿児島県鹿児島市平川町4850-1



高野山金剛峰寺 中門 広目天立像・増長天立像


高野山伽藍中門 出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
高野山開創1200年記念根幹事業として1843(天保14年)に焼失した中門が再建されたことにともない「持国天像」と「多聞天像」の修復、そして新しい「広目天」と「増長天」の造立が行われました。この修復作業と新しい佛像の制作を依頼されたのが松本明慶です。172年ぶりに壇上伽藍の中門に「四天王像」が揃い、大いに話題を呼びました。

制作年 2015(平成27)年
高さ(材質) 総高5.1メートル(桧葉)
所在地 和歌山県伊都郡高野町高野山壇上伽藍



松本明慶の略歴


松本明慶の佛像はなぜこんなにも人を惹きつけるのでしょうか?ここからはその理由のひとつでもある松本明慶の波乱万丈な生涯について紹介します。



1945年:京都市に生まれ戦後の困窮期に子供時代を過ごす

1845(昭和20)年6月23日、松本明慶(本名:松本勝明)は京都市に生まれました。松本明慶が生まれたこの頃は終戦間際で、京都市内も連日のように空襲警報が鳴り響いていたといいます。戦後の混乱期に多くの人々が困窮した生活を送るなか、松本明慶は幼少期を過ごします。

松本明慶が17歳のとき、4歳年下の弟が亡くなりました。松本明慶は失意のなかで木片を抱き、気がつくとむしり彫りの佛像を2年間に300体も刻んでいたのだそうです。



1964年:慶派最後の京佛師である野崎宗慶に弟子入りする


1964(昭和39)年、松本明慶は19歳で佛師の野崎宗慶師に弟子入りします。野崎宗慶は、日本の佛像彫刻に大きな影響を与えたことで有名な運慶・快慶の流れをくむ京佛師で、当時佛師の最高峰として知られていました。松本明慶が野崎宗慶のもとで学んだのはわずか1年半でしたが、その期間に松本明慶は類まれなる情熱と才能を発揮し、師の教えを体得します。

そして1979(昭和54)年、朝日新聞社の朝日会館画廊にて、松本明慶は初めての個展を開催しました。

1980年:京都仏像彫刻展で京都市長賞を受賞する

ギメ東洋美術館 ギメ東洋美術館
出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

1980(昭和55)年、松本明慶は京都市佛像彫刻家協会が毎年行っている京都市佛像彫刻展において、市長賞を受賞しました。さらにその4年後の1985(昭和6)年には、同展覧会において知事賞を受賞しています。松本明慶はその後も市長賞と知事賞をそれぞれ十数回受賞しました。

1988(昭和63)年には、ルーブル美術館東洋別館の佛像100体(現在はフランス国立ギメ美術館所蔵)の修復を担当して話題になりました。

1991年:「大佛師」の号を拝命する


松本明慶は、1991(平成3)年に総本山より「大佛師」の号を拝命します。その後、1999(平成11)年には世界最大級の木造佛である「大辨財天坐像」(鹿児島県、最福寺)を完成させました。

また、2004年には小学館より初の作品集『慈―大仏師・松本明慶作品集』が出版されました。さらに、2005(平成17)年には京都市の上京区に「松本明慶佛像彫刻美術館」が設立されます。



2011年:京都府文化功労賞を受賞しその後も数々の賞を受賞する


松本明慶は2011(平成23)年に京都府文化賞功労賞を受賞しました。その後も松本明慶は2013(平成25)年に京都市文化功労賞、2015(平成27)年に和歌山県文化功労賞を立て続けに受賞しています。

現在、松本明慶は自らの制作活動に精力的に取り組みつつ、40人を超える弟子を抱えて後進の指導にも力を入れています。



松本明慶の作品の世界観


松本明慶は鎌倉時代に活躍した運慶・快慶の流れをくむ「慶派」の佛師で「平成の大仏師」として知られます。

そんな松本明慶の制作する佛像は、造形や色彩の写実性の高さが特徴です。あるときは凛として、またあるときにはユーモラスに表現されるその佇まいは、まるで命が宿っているかのように感じられるリアリティを持ち合わせています。

松本明慶が制作するのは「人々と苦楽を共に生きるみほとけ」であり、それは「敬虔な祈りの形」でもあります。17歳のときに大切な弟を亡くした経験が、このような姿勢の根源となったと考えられるでしょう。迫力と慈愛を同時に持ち合わせる松本明慶の佛像は多くのファンから愛されています。


松本明慶の作品は「松本明慶佛像彫刻美術館」にて鑑賞可能


「松本明慶佛像彫刻美術館」は大佛師、松本明慶の手による佛像を常時150点以上展示する美術館です。1階では全国に納めた佛像の写真を展示、2階では沈香(じんこう)、桧(ひのき)、白檀(びゃくだん)などで制作された一木づくり(1本の木から彫りだす制作法)の佛像や、手のひらサイズの精巧な佛像を展示しています。

松本明慶佛像彫刻美術館は、松本明慶の佛像のファンや佛像彫刻を学んでいる人を惹きつける人気の美術館です。訪れる場合には予約が必要なので、松本明慶工房に連絡してから足を運ぶとよいでしょう。また、最新情報は公式Twitterでもチェックできます。

住所 〒602-8004 京都府京都市上京区下長者町通室町西入ル西鷹司町16
アクセス 京都御所の西方、蛤御門より徒歩2分
電話番号 075-332-7974(松本明慶工房)
営業時間 10:00~17:00(入館は16:30まで)
開館日 原則として毎月第1週・第3週の土曜日と日曜日
※1日が日曜日の月は7日・8日・21日・h22日に開館
料金 無料
公式HP https://m-myoukei.com/
公式Twitter https://twitter.com/matsumotokoubou



松本明慶に関する豆知識(トリビア)


最後に松本明慶にまつわる豆知識を二つ紹介してしめくくりたいと思います。



松本明慶は人間国宝?


運慶・快慶の流れをくむ大仏師の松本明慶は、人間国宝に認定されているかのようにも思われますが、今のところそのような情報は聞こえてきていません。

日本で広く知られている佛師には、松本明慶の他にも向吉悠睦(むこよしゆうぼく)や藤田燿憶(ふじたようおく)などがいます。特に向吉悠睦は松本明慶と同じく大仏師でもありますが、やはり人間国宝には認定されていないようです。



松本明慶と松本明観は家族?


京都佛像彫刻家協会会長を務める松本名観は、今回紹介した松本明慶の長男であり弟子でもあります。1967(昭和42)年生まれの松本明観は1987(昭和62)年に松本明慶工房に入門しました。その後自らの才能をあらわした松本明観は、2000(平成12)年の第39回京都仏像彫刻展で史上初の知事賞・市長賞W受賞を果たします。さらに、2002(平成14)年には和歌山県の三井寺から「大仏師」の号を拝命しました。



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