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大西清右衛門の作品を鑑賞可能な美術館を紹介|代表作品についても解説

大西清右衛門(おおにし せいえもん)は京都の有名な茶釜師です。室町時代後期から400年以上も続く大西家は、三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)に出入りする特別な職家、千家十職(せんけじっしょく)として広く知られており、現在は十六代清右衛門が京都市中京区釜座(かまんざ)において創作活動を行っています。

今回は十六代清右衛門が設立した「大西清右衛門美術館」の詳細情報や、歴代大西清右衛門の人物像、および大西清右衛門の作品の魅力について解説します。



大西清右衛門美術館の詳細情報

大西清右衛門美術館 出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

「大西清右衛門美術館」は、1993(平成5)年に襲名した十六代清右衛門が、その5年後の1998(平成10)年に設立した茶の湯釜専門の美術館です。歴代大西清右衛門が制作してきた貴重な茶釜を展示するこの美術館では、春と秋に企画展が開催され、茶会や講演会などの各種イベントも行われています。

ミュージアムショップでは、大西家の技から生まれた風情あるさまざまな品も販売されています。大西清右衛門の作品や茶道具に興味のある方は、ぜひ足を運んでみてください。三条通りに面した「御釜師」の看板が目印です。

住所 〒604-8241 京都市中京区三条通新町西入る釜座町18-1
アクセス 京都市営地下鉄烏丸御池駅6番出口より徒歩6分
電話番号 075-221-2881
営業時間 10:00~16:30(入館は16:00まで)
休館日 毎週日曜日、および毎月朔日(1日)は休館
料金 一般900円・大学生700円・高校生400円・中学生以下無料
(お茶席700円)



大西清右衛門美術館の所蔵作品



大西清右衛門美術館では、大西家の歴代当主が生み出した数々の茶釜を所蔵しています。このような茶釜は、従来茶室で1つずつ見ることしかできませんが、大西清右衛門美術館では複数の茶釜を比較して楽しむことが可能です。また、同美術館では手に触れて鑑賞できるような体験型のイベントも多く開催されています。

さらに、大西清右衛門美術館のコレクションは茶釜だけにとどまらず、釜の下絵や木型など、制作時に使用した資料も合わせて所蔵しているため、大西清右衛門の茶釜に関して多角的に学ぶことができるでしょう。

大西清右衛門美術館のある京都三条通の釜座は、古くから鋳物町として栄えてきました。このような歴史をふまえ、釜座にまつわる古文書なども所蔵しています。


大西清右衛門とは


ここからは、大西清右衛門美術館で扱っている茶釜の作者、大西清右衛門とは一体どのような人物なのかもう少し深く踏み込んでみましょう。



室町時代後期から400年以上続く京釜師である大西家の当主


先祖代々茶釜師を務める大西家は、室町時代の後期から400年余りも続いている歴史ある家柄です。もともとは山城国の出身で「広瀬」という姓を名乗っていましたが、初代当主の大西浄林が弟を連れて都に上り、三条の釜座に加わったのが大西家の始まりです。(「座」とは、公家や寺社などについて商売を行う特権的な同業者集団のことをいいます。)

「清右衛門」の名を名乗ったのは四代目当主の大西浄頓からで、以来五代目と九代目の当主を除く歴代当主が「大西清右衛門」を名乗っています。現在は1961(昭和36)年生まれの16代大西清右衛門が、三条釜座の工房を拠点として活動しています。



三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)に出入りする茶道具の職人である千家十職の釜師

千利休 出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大西清右衛門は三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)に出入りする特別な職家として知られています。このような職家を尊敬の意味を込めて「千家十職」といいます。

千家とは、茶道の流派です。茶道の大成者である千利休が秀吉の命によって切腹した際、子どもたちは地方に逃れました。その内の1人である小庵が徳川家康らのとりなしで京に戻り、千家(のちの不審庵)を継ぎました。

小庵の息子である宗旦がつくったのが裏千家(今日庵)、宗旦の息子である一翁宗守が武者小路につくったのが武者小路千家(官休庵)です。つまり、三千家の祖が「茶聖」として知られる千利休なのです。

大正時代の頃から、この三千家が用いる茶道具を代々制作している職家のことを指して「千家十職」という言葉が使われるようになりました。各家の分担は次のようになります。

表具師 奥村吉兵衛(おくむら きちべえ)
竹細工・柄杓師 黒田正玄(くろだ しょうげん)
袋師 土田友湖(つちだ ゆうこ)
土風炉・焼物師 永樂善五郎(えいらく ぜんごろう)
茶碗師 樂吉左衞門(らく きちざえもん)
釜師 大西清右衛門(おおにし せいえもん)
一閑張細工師 飛来一閑(ひき いっかん)※姓は「ひらい」と読むこともあ
塗師 中村宗哲(なかむら そうてつ)
金物師 中川淨益(なかがわ じょうえき)
指物師 駒澤利斎(こまざわ りさい)



現代でも京都市芸術新人賞・京都府文化賞奨励賞の受賞など功績を残している


現在大西家の当主を務める十六代目大西清右衛門は、襲名から10年後の2003(平成15)年に、平成14年度京都市芸術新人賞を受賞しています。また、2006(平成18)年には第24回京都府文化賞奨励賞を受賞しています。

京都市芸術振興賞、京都市芸術新人賞の過去の受賞者はこちら
京都府文化賞の過去の受賞者はこちら


歴代の大西清右衛門


ここからは400年以上にもわたる大西家の歴代当主を紹介します。「清右衛門」という名を初めて名乗ったのは四代目の大西浄頓で、六代目以降はほぼすべての当主が清右衛門の名を名乗りました。



第一代目〜第三代目


上述の通り、山城国に住んでいた大西浄林(1590年~1663年。通称/仁兵衛)が弟を連れて都に上り、三条の釜座に加わったのが大西家の始まりです。

二代目の大西浄清(1594年~1682年。通称/五郎左衛門)は浄林の弟で、大西家のなかでも名人と名高い存在です。茶道織部流の祖である古田織部(ふるたおりべ)や有楽流の祖である織田有楽(おだうらく)の釜師を務めたことでも知られています。

三代目の大西浄玄(1630年~1684年/通称:仁兵衛)は浄清の長男として生まれました。しかし、浄玄の手によるもので世に残っている作品はあまり多くありません。



第四代目


四代目の大西浄頓(1645年~1700年/通称:清右衛門)は、浄玄の長男として生まれ、初めて「清右衛門」の名を名乗ったことで知られます。父親の浄玄と同じく作品数は多くありませんが、初代の大西浄林や二代目の大西浄清から大西家初期の伝統的な作風を受け継ぎました。



第五代目〜第十五代目



もともと四代目の浄頓に師事していた五代目の大西浄入(1647年~1716年/通称:新兵衛)は、厚手で深みのある肌の作品を残しています。

六代目の大西浄元(1689年~1762年/通称:清右衛門)は四代目の浄頓の子として生まれ、五代目の浄入に師事しました。六代目の浄元は表千家の七代目如心斎天然宗左の釜師を務め、これより大西家は千家十職として知られるようになります。また、今後は九代目の浄元を除く全ての当主が「清右衛門」を名乗りました。

七代目の大西浄玄(1720年~1783年/通称:清右衛門)は名人といわれた二代目・大西浄清をしのぐほどの腕前を持ち、「大西家中興の祖」として知られています。六代目の浄元の息子として生まれ、自らも多くの茶道具をコレクションする風流人でした。

八代目の大西浄本(1747年~1785年/通称:清右衛門)は大西家の養子です。九代目の大西浄元(1749年~1811年/通称:佐兵衛・佐兵衛浄元)も養子で、七代目の浄玄と八代目の浄本に師事していました。

十代目の大西浄雪(1777年~1852年/通称:清右衛門)は、九代目の浄元の息子として生まれました。父親に師事して多くの名品を残した浄雪は、大西家で一番の多作とも言われています。また、さまざまな釜の形態等を調査した『名物釜記』などの著作も残しました。

十一代目の大西浄寿(1808年~1875年/通称:清右衛門)は十代目の浄雪の養子で、表千家十一代目の碌々斎瑞翁宗左より「浄寿」という号を授かりました。十二代目の大西浄典(1841年~1869年/通称:清右衛門)は十一代目の浄寿の息子として生まれましたが、若くしてこの世を去ったためごく少数の作品しか残っていません。

十三代目の大西浄長(1866年~1943年/通称:清右衛門)は十二代目の浄典の息子として生まれ、多くの釜を残しました。浄長は幼い頃に父を亡くしたため、母方の樂家で育ちました。

十四代目の大西清浄中(1888年~1960年/通称:清右衛門)は十三代目の浄長の息子として生まれ、力強い作品や華麗な作品などを幅広く手がけています。十五代目の大西浄心(1924年~2002年/通称:清右衛門)は九州大学を卒業後に京都大学大学院、京都美術学校専攻科で学びを深めました。



第十六代目

大阪芸術大学 大阪芸術大学
出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

現在大西家の当主をつとめる十六代目の大西清右衛門は、1961(昭和36)年に十五代目大西浄心の長男として、京都市に生まれました。1986(昭和61)年に大阪芸術大学美術学部彫塑科を卒業後、1993(平成5)年に十六代大西清右衛門を襲名します。父親の隠居にともなう32歳での襲名でした。

1998(平成10)年の3月、初めての個展を京都高島屋で開催します。また、同年には「大西清右衛門美術館」を京都市中京区の工房に併設して創設、館長に就任しました。

現在、十六代目大西清右衛門は古い技法の研究や再現、海外で開催される展覧会への出展など精力的に活動を展開しています。2004(平成16)年には淡交社より『茶の湯の釜』という著書も出版しました。

文化芸術の更なる振興及び発展に寄与すると認められる人物に贈られる京都市芸術新人賞や京都府文化賞奨励賞も受賞している十六代目大西清右衛門には、今後さらなる活躍が期待されます。



大西清右衛門の代表作品


それでは、歴代大西清右衛門のなかでも特に有名な二代目、七代目、そして現在活躍中の十六代目の代表作品を紹介します。これらはすべて大西清右衛門美術館に所蔵されています。



二代目大西清右衛門の代表作品


二代目の大西浄清は大西家のなかでも名人と名高く、大西家初期の作風を確立した存在です。紋様をあしらった装飾的な釜を多く制作しました。そんな大西浄清の代表作品の1つが「筋釜」です。

住所 筋釜(すじがま)
作者 二代大西浄清 (1594 ~ 1682)
サイズ 高さ21.6cm
所蔵 大西清右衛門美術館



七代目大西清右衛門の代表作品


七代目の大西浄玄は、二代目大西浄清をしのぐほどの腕前で「大西家中興の祖」として知られています。気品ある格調高い作風が特徴の大西浄玄は多くの名品を世に残しました。そんな大西浄玄の代表作品の1つが「唐犬釜」です。それ以外にも「啐啄斎好み玄の字釜」の作品も有名です。

住所 唐犬釜(とうけんがま)
作者 七代大西浄玄 (1720 ~ 1783)
サイズ 高さ20.6cm
所蔵 大西清右衛門美術館




十六代目大西清右衛門の代表作品


十六代目の大西清右衛門は、過去の名品の魅力を研究しつつ独自のセンスを取り入れた独創的な作品を制作しています。そんな十六代目大西清右衛門の代表作品の1つが「真ノ釜」です。その他には「かどくち釜」(栄春寺蔵)や「源氏香透八角釜」(香文化資料室 松寿文庫蔵)などといった代表作品があります。

住所 真ノ釜(しんのかま)
作者 十六代大西清右衛門(1961 ~  )
サイズ 高さ21.0cm
所蔵 大西清右衛門美術館



大西清右衛門の作品を鑑賞できる美術館まとめ


大西清右衛門の茶釜を鑑賞すると、初代から十六代までの歴代の当主が400年以上にも渡って守ってきた伝統がひしひしと感じられます。その妥協のない凛とした佇まいからは歴代当主の持っていた大きな情熱を垣間見ることができるでしょう。

京都三条釜座にある大西清右衛門美術館では、大西清左衛門作の茶釜の名品や、それにまつわるさまざまな資料などを幅広く鑑賞できます。お茶会や実際に茶釜に触れられるイベントなどさまざまな取り組みもされているので、興味のある方はぜひ一度大西清右衛門美術館を訪ねてみてください。



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