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荒川豊蔵の陶印の特徴を解説|代表作品や略歴を紹介

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荒川豊蔵(あらかわとよぞう)は昭和時代に活躍した日本を代表する陶芸家です。人間国宝に指定された上に文化勲章も受章しており、荒川豊蔵の陶芸にかけた情熱や彼が生み出した作品の素晴らしさは国内外で高く評価されています。

そんな荒川豊蔵の作品とは、一体どのようなものなのでしょうか。今回は荒川豊蔵が制作した代表作品や、自らの作品に刻んだ陶印などについて幅広く解説します。



荒川豊蔵の略歴

まずは略歴を通して、荒川豊蔵が陶芸史を塗り替える大発見をし、自らの作風を確立していく様子を追ってみましょう。

1894年:岐阜県の焼物の産地に生まれ、中学卒業後は陶磁器を扱う貿易会社に勤務


多治見陶器祭り 岐阜県多治見市で行われる「多治見陶器祭り」の様子
出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

1894(明治27)年、荒川豊蔵は美濃焼の産地として知られる岐阜県土岐郡多治見町(現在の岐阜県多治見市)に生まれました。美濃焼の陶祖である加藤与左衛門景一の直系の子孫として生を受けた荒川豊蔵は、中学校を卒業すると陶磁器を取り扱う貿易会社に就職します。

若い頃画家を志していた荒川豊蔵は、磁器の表面に絵柄をほどこした上絵磁器の事業にも携わるようになります。その縁で青磁の作品で有名な陶芸家の宮永東山(みやながとうざん)と知り合いました。



1922年:京都・東山窯の工場長になり、その後北大路魯山人と出会う


1922(大正11)年、荒川豊蔵は宮永東山から京都伏見にある東山窯の工場を任されます。本格的に陶芸の道を歩み始めていた荒川豊蔵は、2年後の1924(大正13)年に東山窯に寄宿した北大路魯山人と知り合い、友好を深めました。陶芸、書、料理などの分野で幅広く活躍していた北大路魯山人は、東山窯に約1年間逗留します。

1927(昭和2)年になると、荒川豊蔵は北大路魯山人が運営する神奈川県鎌倉の星岡窯で働き始めました。さらに3年後には、北大路魯山人の紹介で初めて志野焼に触れ魅了されます。

志野焼とは岐阜県で作られる美濃焼の一種で、白い肌と表面に見られるたくさんの小さな穴が特徴の焼き物です。志野焼のルーツに興味を持った荒川豊蔵は、美濃焼や岐阜県の大萱(おおがや)古窯跡群にまつわる調査を始めました。



1934年:牟田洞古窯跡の近くに窖窯を築窯、志野の再現に成功


志野焼は古来、愛知県の瀬戸市で焼かれたものと考えられてきました。しかし、荒川豊蔵の調査によって、実は志野焼が岐阜県可児市(かにし)の大萱古窯跡群で焼かれていたということが判明します。大萱古窯跡群にある6つの窯のうち、特に牟田洞窯は志野焼きの名品を数多く生み出していたそうです。これは日本陶芸史を塗り替える大変貴重な発見となりました。

1934(昭和9)年、荒川豊蔵は牟田洞古窯跡の近くに窖窯(あながま・斜面に作られるトンネル状の窯)を作りました。そして、ついに安土桃山時代に焼かれていた志野焼を再現することに成功します。

1941(昭和16)年には大阪梅田にある阪急百貨店にて、初の個展「荒川豊蔵作陶並びに絵画展覧会」を開催しました。また、1946(昭和21)年には多治見市虎渓山町に水月窯を完成させました。水月窯は現在多治見市無形文化財に指定されています。



1955年:人間国宝に指定され、その後も文化勲章受賞など功績を讃えられる


文化勲章 文化勲章
出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1955(昭和30)年、荒川豊蔵はこれまでの実績が認められ、重要無形文化財の「志野」や同じく大萱古窯跡群で作られていた「瀬戸黒」の技術保持者として人間国宝に認定されました。

その後も1958(昭和33)年に中日文化賞を受賞、1968(昭和43)年に勲四等旭日小綬章を受章、1971(昭和46)年に文化勲章を受章し、その功績を讃えられます。

1985年:91歳で亡くなるまで作品制作を続けた


荒川豊蔵は77歳で文化勲章を受章すると、翌年の1972(昭和47)年頃からは「斗出庵」の号を多く用いるようになります。精力的に作陶を続けけた荒川豊蔵ですが、急性肺炎のため1985(昭和60)年に91歳で亡くなりました。

*独立行政法人 国立文化財機構 東京文化財研究所 / 荒川豊蔵


荒川豊蔵の作品の世界観


続いて、荒川豊蔵の作品にまつわる特徴や魅力について紹介していきます。



作品の陶印として「斗」の文字を記している


陶印とは一般的に陶器で作ったハンコのことを指します。陶印は陶芸家が作品に自らが制作したという証として高台やその周辺に押すことが多いのですが、荒川豊蔵のように印を使わずそのまま作品に彫ったり、磁器の場合は呉須(青色の顔料)でサインのように記されたりすることもあります。

先述の通り、荒川豊蔵は1972(昭和47)年頃から「斗出庵」の号を多く用いています。その後は自らの作品に陶印として「斗」の文字を刻むようになりました。



「荒川志野」と呼ばれる独自の技法を確立し、茶碗など制作


荒川志野とは、古来の志野焼の技術を使いながらも現代の美的感覚を取り入れることで新たな境地を開拓した、荒川豊蔵の制作する独特の志野焼のことを言います。志野焼といえば長石を用いた半透明の釉薬のかかった白い肌が特徴ですが、荒川志野はこのような特徴をそのままに現代的な造形と色彩を取り入れることに成功します。

荒川豊蔵は穏やかで真面目な性格だったといわれていますが、その人柄のままに品のよい、そして貫禄も持ち合わせた作品を生み出しました。荒川志野は国内のみならず海外からも高く評価されており、現代に至るまで多くの人の心を惹きつけています。



荒川豊蔵の代表作品を解説


「志野」や「瀬戸黒」の技術保持者として人間国宝に選ばれた荒川豊蔵の作品の中で、特に人気のある2つの代表作品を紹介します。



志野茶垸


荒川豊蔵_志野茶垸 荒川豊蔵の制作した茶碗の多くは、箱書きで「碗」という字の代わりに「垸」という字が使われています。志野茶垸にはシンプルなもののほか、半透明の白い釉薬の下に鉄絵がほどこされたものなどもあり、バリエーションが豊富です。いずれの作品もぼってりとした素朴な造形に温かみがあり、品のある落ち着いた魅力が見て取れるでしょう。

*岐阜県博物館 / 資料情報 / 志野茶垸


瀬戸黒茶垸


瀬戸黒は「天正(てんしょう)黒」または「引き出し黒」と呼ばれることもあります。この呼び名は、瀬戸黒が桃山時代の天正年間に多く制作されたことや、鉄分を含んだ釉薬を黒く変化させるために焼成中に一旦窯から出して急速に冷却させるその製法に由来します。荒川豊蔵は瀬戸黒茶垸において、独特の釉薬の縮れを美の表現にまで推し進めました。

*多治見市美濃焼ミュージアム / デジタルミュージアム / 現代陶芸 / 荒川豊蔵 / 瀬戸黒 / 瀬戸黒茶垸


荒川豊蔵の作品は荒川豊蔵資料館にて鑑賞可能


荒川豊蔵資料館 出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
荒川豊蔵の作品は、岐阜県可児市にある「荒川豊蔵資料館」で鑑賞できます。同館は荒川豊蔵本人が1984(昭和59)年に創設した「豊蔵資料館」が元になっており、2017(平成29)年に可児市に寄贈される際に名称が変更され、「荒川豊蔵資料館」となりました。

荒川豊蔵資料館では、荒川豊蔵の作品はもちろん彼が収集した古陶磁、工芸品、出土陶片なども幅広くコレクションしています。また、敷地内には旧荒川豊蔵邸や陶房などがあり、こちらも無料で見学できます。

荒川豊蔵資料館の公式ページはこちら


荒川豊蔵の作品の買取価格相場


荒川豊蔵は志野や瀬戸黒で茶碗、酒盃、徳利などさまざまな作品を作りました。これらはバブル景気のときにはより高値で取引されましたが、現在も非常に高く評価されています。

特に茶碗は人気が高く、現在の評価では100万円からとなる場合が多いでしょう。作品によっては150万円〜200万円前後の金額となることもあります。作品の年代や付属品の有無も重要です。共箱が揃っていれば高価買取に繋がりやすいでしょう。

特に、茶碗の「碗」の字の代わりに「垸」という字が共箱に使われていたり、作品に陶印として「斗」の文字が記されていたりすれば、それは荒川豊蔵の作品である可能性があります。どうぞ美術品買取専門店獏へご相談ください。



荒川豊蔵に関する豆知識(トリビア)

最後に荒川豊蔵の私生活が垣間見える2つの豆知識を紹介して締めくくりたいと思います。



息子や孫も陶芸家として窯元へ携わっている


荒川豊蔵は数え年で18歳のときにいとこの志づと結婚しました。そんな荒川豊蔵には2人の息子がいます。長男の荒川武夫と次男の荒川達です。

長男の荒川武夫は、荒川豊蔵とともに大萱窯や水月窯の築窯に携わりました。また、現在は次男の荒川達の息子で、荒川豊蔵の孫にあたる荒川広一が水月窯の3代目当主となっています。



陶芸作品以外に掛軸・書画などの作品も制作している


若い頃に画家を志していた荒川豊蔵は、実は焼き物だけではなく自作の掛軸や書画なども残しています。これらの作品は岐阜県可児市の荒川豊蔵資料館に所蔵されています。

荒川豊蔵資料館では、荒川豊蔵が牟田洞古窯跡での陶片採取の様子を振り返って1966(昭和41)年に描いた『大萱牟田洞古窯発掘図』や、自らの陶房内に流れる小川に棲みついた沢蟹を描いた1943(昭和18)年制作の『渓流藤花に戯れる沢蟹図』が鑑賞できます。



荒川豊蔵の作品は獏にて強化買取中


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