吉田克朗の作品の買取価格とポイント
1943 ~ 1999年 物故作家。
埼玉県深谷市に生まれる。1968年多摩美術大学絵画科を卒業、在学中は斎藤義重教室で学ぶ。同年、第8回現代日本美術展のコンクール部門に、机を二つに切りはなした作品「cut-1」が初入選。紙・石・ロープ・電球などの素材をそのまま展示し、物質本来の存在感や意義に焦点を当てていく「もの派」の中核を担う一員として活動する。1969年からはシルクスクリーンの作品の制作も始める。1970年に開催された「第1回ソウル国際版画ビエンナーレ」では大賞を受賞。1973年に文化庁海外芸術研究生としてロンドンに滞在、ロンドンの版画工房でフォトエッチングの技法を学び、帰国後は版画作品を継続的に制作。1999年55歳の若さで逝去。
吉田克朗のポイント
吉田克朗の作風
近年再評価されている「もの派」の一員として欠かせない作家の一人です。代表作としては、紙や石、木材や鉄片、ロープや電球といったものを組み合わせた「cut off」シリーズが有名です。机を真ん中から真っ二つに切断し、そのまま置いたらそれは果たして「机」なのでしょうか?日常的に身の回りにある素材や物質をありのままに見せることにより、今までの認識を「切り離す」という立体作品を多く制作しました。
しかし物性要素の強い立体作品の製作期間は約4年と短く、渡英してからはフォトエッチングの制作を始めてロンドンの街並みを切り取った版画を発表しています。そして筆致を徹底して排除した版画作品の後、1980年頃からは逆に痕跡を目立たせた平面作品が多くなります。粉末黒鉛を使い手のひらで直接キャンバスに描く「蝕」シリーズを展開、白や黄色の背景に浮かび上がる黒い塊にはよく見ると吉田の指の跡が残っています。初期の立体作品と同様、自身の体や手を使って存在感を強く感じられる作品を多く発表しました。
吉田克朗の現在の評価と価値
市場への流通量はそれほど多くない印象ですが、直筆から版画まで幅広い作品を残し、同じ作家とは思えない程表現に幅があります。買取に関しては現在の市場動向を考慮して最大限の評価をさせていただきます。
吉田克朗作品のご売却をご検討の際はお気軽にご相談ください。
吉田克朗の作品
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死の連想によって引き起こされは悲しみ
(1966年)
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抽象
(1967年)
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work4-139
(1980年)