横山操

横山操の版画・日本画・赤富士の買取価格とポイント

1920年~1973年 物故作家。
新潟県生まれ。1937年に県立巻中学校を卒業し上京する。川端画学校日本画家で学び、1940年に青龍社展で初入選するが、この年まで終戦までの5年間を中国で過ごす。戦後は更に5年間のシベリア抑留生活を強いられる。復員後は青竜展に戻り大作を発表する。1960年頃から<赤富士>の連作が人気を集めだす。1962年には青竜社を脱退し無所属となる。それ以降は日本の伝統的水墨画の発展に意欲を示し、「瀟湘八景」「越後十景」等の作品を残す。多摩美術大学日本画科の教授に就任し、同じく着任した加山又造と共に後進の指導に尽力する。1971年に発病し半身不随となるが、左手のみで制作を続ける。代表作は<越地十景><塔><炎々桜島>などがある。享年53歳。

横山操の絵画作品の買取ポイント

横山操の絵画作品の作風|日本画や水墨画を制作

横山操の特徴は黒を強調した線ではないでしょうか。その黒い線は輪郭線以外にも使われ、画面に縦横に駆使した作風は、当時の画壇にブームを巻き起こしたと伝えられています。一般的に市場に出回っている横山操作品といえば「日本の風景」を題材にした作品が殆どですが、展覧会の出品作は国内外の風景を問わず多様な作風を残しました。大胆な色使いと背景に余白を残さず塗りつぶすという、本来の日本画とは離れた感性で制作に取り組んでいました。その結果として将来の代表作となる<赤富士>と出会い、横山操のスタイルを作り上げました。
昭和38年頃から、日本画の他に水墨画も手掛け始めます。色を使わずに墨の濃淡だけで仕上げる水墨画に関して「墨は作家の精神をぎりぎりまで追い込み、心的表現へと導いてくれる」と語っています。日本画の技法・たらしこみなどを使い、「瀟湘八景」や「越路十景」といった数々の大作を残しています。

横山操の現在の評価と価値

没後約半世紀が経過した現在も需要がある作家のひとりです。
横山操の高価買取ポイントは、<富士>を描いた作品でしょう。芸術作品を追求する場では多様なモチーフを残しましたが、マーケットから求められたモチーフは富士でした。富士が横山操の代表作ですが、その中でも赤富士が良いとされています。赫富士、赤富士、暁富士、波上富士など様々な題名が付けられていますが、重要なのは赤く描かれているかどうかです。モチーフにより買取価格が大幅に異なるため「赤富士」と「それ以外」で見ていきましょう。

① 赤富士
題名が赤富士、もしくは赤富士のような見た目の作品が最も評価が高いです。
ある程度サイズがあれば、基本的に100万円以上の評価で、どこまで金額をご提案できるかは描き込み等により異なります。

② それ以外
展覧会の出品作や赤富士等以外の作品は数十万円台から100万円を超える作品まで様々です。赤富士に比べると振れ幅が出やすい印象です。

横山操の作品の鑑定について

日本画などの原画作品は<東美鑑定評価機構鑑定委員会>が所定鑑定機関となります。
作品によっては何度か売買されている作品も多いため、最初から鑑定書が付いているケースもあるでしょう。現状では一部の作家(横山大観や棟方志功等)のように必ず鑑定書を取る必要がある訳ではありませんが、無いよりはあった方が良いです。

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横山操の代表作品まとめ

  • 新雪富士(版画)

  • 暁富士(版画)

  • 富士川の富士(版画)