上前智祐

上前智祐の買取価格とポイント

1920~2018年 物故作家。
京都府に生まれる。1932年に舞鶴市の京染屋に丁稚奉公に出たが、ここで経験した縫い作業がその後の創作活動の原点となった。一度上京したがすぐ帰郷し、通信教育で絵画を学ぶ。1942年に洋画に転向し鶴美会の結成に参加、戦後は黒田重太郎に師事して制作に励む。1949年には神戸市の川崎造船所に入社し、以後はクレーンマンとして川崎重工業と神戸製鋼所の工場で60歳まで勤めた。
1953年に吉原治良と出会い、1954年には前衛美術グループ「具体美術協会」の結成にも加わる。具体美術協会には、1972年に吉原が死去して協会が解散するまで在籍していた。多くの回顧展やグループ展を経て、近年再び具体美術にスポットが当てられ、再評価されている現代作家の一人である。1999年紺綬褒章、1999年 兵庫県文化賞、2015年 神戸市文化賞など多くを受賞。

上前智祐について
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買取ポイント

上前智祐の作風

上前はクレーンマンとして働いており制作活動で収入を得る必要が無かったので、持ち前の丁寧さを活かしてじっくりと制作をしていました。他の具体美術協会のメンバーとは少し違った、内へと向かうエネルギーの集積とも言える細かい作業工程の作品が目立ちます。制作の幅は広く、キャンバスや板をベースにおがくずや木、マッチを使ったミクスドメディアや立体作品、子供の頃に習得した手縫いの技術を生かして一糸一糸縫いこんでいった布の作品もあります。
初期の頃は人物画や風景画も手掛けましたが、具体美術協会参加後は一貫して非具象・抽象的なものを追い求め、晩年は版画作品も多く制作しています。

上前智祐の現在の評価と価値

白髪一雄や吉原治良などが有名ですが、上前智祐も具体美術を語る上では欠かせないメンバーでしょう。
具体美術は国内外で人気が高く、上前智祐も例外ではないです。

買取金額は数十万円台になる事が多く、画集掲載作品などの一部の作品は100万円を超えてきます。

上前智祐作品のご売却をご検討の際は美術品買取獏までお気軽にご相談ください。

上前智祐の代表作品

  • 緑-A(シルクスクリーン)

    (2003年)

  • 作品5(ミクストメディア)

    (2001年)

  • 青-D(銅版画)

    (2009年)