竹内栖鳳

竹内栖鳳の日本画の買取価格とポイント

1864~1942年 京都府生まれ。
戦前の京都画壇を代表する日本画家。京都の料亭亀政のひとり息子として生まれる。はじめ棲鳳と号す。13歳で四条派の土田英林に学び、17歳で円山・四条派の大家、幸野楳嶺に師事する。この頃から画才を認められ、都路華香、谷口香嶠、菊池芳文とともに「楳嶺四天王」と称される。1887年、23歳で京都府画学校(現:京都市立芸術大学)を修了。1889年より京都府画学校に出仕した。1890年の第2回内国絵画共進会に出品、褒状を受ける。以降、内国勧業博覧会、日本美術協会、青年絵画共進会、日本絵画協会などに出品し、数々の賞を受ける。1895年に京都市立美術工芸学校の教諭に就任。同年、日本青年絵画共進会の審査員に任命される。1900年のパリ万国博覧会展で「雪中燥雀」が銀牌受賞。同博視察のため5か月間欧州を遊学し、西洋絵画に触れる。帰国後に栖鳳と号を改める。1907年開設の文展の審査員となり、1918年まで歴任した。西山翠嶂、上村松園、西村五雲など多くの門下生を世に送り出し、京都画壇の指導者として確かな功績を残した。1937年に第1回文化勲章受章。享年78歳。
2023年11月現在京都市京セラ美術館で「竹内栖鳳 破壊と創生のエネルギー」が開催中。

竹内栖鳳

買取ポイント

竹内栖鳳の作風

竹内栖鳳の代表作といえば、「班猫(はんびょう)」です。本作は近代日本画における動物画の傑作として重要文化財となっています。写生を重視した師の楳嶺の教えを守り、栖鳳は動物の生態を入念に観察して、「けものを描けば、その匂いまで表現できる」と言われるほど生き生きとした動物画を描きました。「班猫」では、猫の毛並みを墨や金泥を駆使して繊細な線で描き、柔らかな毛の感触まで巧みな筆遣いで表現しています。
栖鳳の作風は、写生を重視した京都の円山派、四条派を基礎としていますが、伝統的な狩野派の表現に加えて、欧州遊学時に培ったターナーやコローらの西洋絵画の写実的描写法も摂取しています。同時代の横山大観らが西洋的な空気遠近法を取り入れるために、輪郭線を用いず、色面をぼかしてモチーフを描く「朦朧体」へと向かったのに対し、栖鳳は日本画の本質である線描を否定することなく、モチーフを克明に観察して正確に把握し、卓越した描写力で写し取ることで日本画の線的描写と西洋的リアリズムとを融合していきました。諸派の筆遣いを一枚の絵の中に混在させた栖鳳の作風は、寄せ集めを意味する「鵺派」と揶揄されたこともありますが、画面を破綻なくまとめあげる揺るぎない技量によって近代日本画に革新をもたらし、洗練と軽妙さを併せ持つ独自の画風を確立しました。




竹内栖鳳の現在の評価と価値

京都画壇の重鎮として揺るぎない地位を築いた栖鳳は、同じく近代日本画を牽引した横山大観に比肩する存在であり、「西の栖鳳、東の大観」と称されるほど抜群の知名度を誇っています。その作品の評価は今なお高く、とりわけ毛並みや羽毛まで繊細な線で見事に描き出した動物画は栖鳳の真骨頂といえ、安定した人気があります。
栖鳳は兎、猿、家鴨などを自ら飼って写生し、身近な動物の正確な形態や伸びやかな動きを探究していました。重要文化財に指定された「絵になる最初」、文展に出品して話題となった「アレ夕立に」は、モデルの女性のふとした仕草を的確にとらえており、その鋭い洞察力は動物画に限らず人物画にも発揮されています。
動物や人物の描写に定評がある栖鳳ですが、欧州巡遊後に西洋絵画の写実表現を取り入れて描いた水墨画の「ベニスの月」も、日本画の近代化に貢献した栖鳳の画業を浮き彫りにする風景画の逸品です。晩年に手がけた水墨風景画は、それまでの栖鳳作品にはなじみのない墨の滲みを用いることで、線描による写生から離れて新境地を開いた作品として近年再評価されています。

近年の相場を考慮すると買取金額は数十万円から100万円以上と様々です。横山大観と同じく非常に贋作が多い作家のため鑑定を取得させていただくケースが殆どです。竹内栖鳳作品のご売却をご検討の際はお気軽にご相談ください。


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竹内栖鳳の作品

  • 焼鯛

    焼鯛(日本画)

  • 白梅

    白梅(日本画)