斎藤義重の買取価格とポイント
1904~2001年 物故作家。
青森県弘前市生まれ。「さいとう ぎじゅう」と読まれることもある。陸軍軍人であった父の異動に伴い栃木~東京へと移り住む。父の書斎でヨーロッパ絵画や建築に慣れ親しみ、アメリカ映画を好んで見る少年であったという。1920年のロシア未来派による展覧会を見て衝撃を受ける。1939年には美術文化協会が結成され参加するが、53年には協会から退き、その後どの団体にも属することはなかった。58年に東京画廊とタッグを組み、そこから海外へ作品を出展するようになる。60年にベネツィア・ピエンナーレ、翌年にはサンパウロ・ピエンナーレに出展、国際絵画賞を受賞。この頃からドリルを使った平面作品を手掛けるようになった。63年には横浜に転居し、64年に多摩美術大学の教授となり後の「もの派」として名を馳せる若手芸術家をたくさん輩出している。海外での評価も非常に高く、サンパウロ・ピエンナーレに出展した際は、国外の作家が奪い合うようにして斎藤の作品を買い取ったという。
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買取ポイント
斎藤義重の作風
斎藤義重が中学生時代に見たロシア未来派の絵は、「見たものを描く」という当たり前の発想を根底から覆すものでした。それからは平面と立体を融合させた作品を多く手掛けましたが、特にレリーフが有名です。楕円や板状の合板を組み合わせた「トロウッド」などがあります。これは「トロ」=まぐろが「ウッド」=木板に並べられているように見えることから斎藤が名付けたそうです。
重ねた合板にドリルを使って線を描く作品も多く制作しました。制御の効かないパワーあふれるドリルと、制御していないようで制御している人間の腕の細かい振動が、何とも言えない不思議な動線を描き出します。斎藤は美術学校にも行かず芸術の道へ進んだため自らを「芸術家」と思う意識が薄かったようで、その自由奔放な発想力が、固定観念に囚われない幅広い創作へ繋がったのではないでしょうか。晩年は平面と立体の垣根を越えて三次元的表現に注目し、インスタレーション「複合式」を発表するなど創作意欲は途切れることがありませんでした。
斎藤義重の現在の評価と価値
作風で述べたようにドリルや合板など絵画制作とは縁遠い表現様式が特徴です。このような作品が斎藤義重らしく高い人気を誇っています。
作品によっては100万円を超える評価ができ、水彩作品でも数十万円単位で評価できる事が多い印象です。斎藤義重の作品のご売却をご検討の際はお気軽にご相談ください。
斎藤義重の代表作品
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作品(版画)
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ボオパンF(合成樹脂・アルミ板)
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ペンチ(シルクスクリーン)
(1968年)