陶器作家 岡部嶺男
1919年~1990年 物故作家。
愛知県瀬戸市生まれ。父は陶芸家・加藤唐九郎。1926年に瀬戸市道泉小学校に入学する。1932年に愛知県立瀬戸窯業学校に入学する。卒業後は東京物理学校(現・東京理科大学)へ入学するが、戦争のため中退し入営する。戦後はフィリピンで米軍捕虜となり、1947年に復員し、愛知県西加茂郡猿投町平戸橋(現・豊田市)に居を定める。1954年に縄文の作風を完成する。1960年に永仁の壷事件が起こる。1963年頃から本格的に青瓷の研究に取り組み、2年後に粉青瓷が完成する。同年に紺綬褒章を受章する。
※永仁の壷事件とは?
国の重要文化財に指定された永仁の壷が父・加藤唐九郎による偽作であったとする事件の総称です。当時は唐九郎、嶺男の父子間で双方とも自作であると主張して話題となる。この事件により旧姓の加藤から妻方の岡部姓へ改姓する。
買取ポイント
陶器買取のポイント
岡部嶺男は青瓷、織部などを得意とし、古典的な技術を駆使しながら現代的な感覚をミックスして独自の作風を生み出しました。本格的に作陶活動を再開したのは戦後でした。織部・志野・黄瀬戸・灰釉・鉄釉など地元の伝統技法をもとに作域を広げ、特に縄文を施した織部や志野の作品はありそうでなく、岡部嶺男の象徴的な表現方法となりました。独自の織部を生み出した後には青磁の研究へと向けられ、【粉青瓷】、【翠青瓷】、【窯変米色青瓷】などの作風を編み出しました。中国や朝鮮の模倣から脱却した作品は日本陶芸界で高い評価を得ました。国内外問わず、美術史の中で評価される作家は新しい何かを作り出しました。岡部嶺男も含まれるでしょう。
岡部嶺男の現在の評価と価値
知名度のわりに作品数が多くないため、平均的に市場価格は高い印象です。人間国宝レベルの作家でも、失礼ながら売れる作品とそうではない作品が出てきますが、岡部嶺男は大きな振れ幅はありません。特に上記で述べたように【青磁】と【織部】は評価が高いです。他にも具体的な金額はサイズ、コンディション等により異なりますが、買取金額は数十万円台から100万円以上と様々のため、岡部嶺男の作品のご売却をご検討の際は、お気軽にご相談ください。
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