織田広喜の絵画・油絵・版画の買取価格とポイント
1914年 ~2012 物故作家。
日本の洋画家。福岡県生まれ。1929年に碓井尋常高等小学校高等科を卒業する。麻生鉱業に勤務していた父が病気になったため、家計を助けるため陶器の絵付けなどをして働く。福岡市の菓子店や碓井村の郵便局員として勤務する。1931年から同村に住む作家に油彩画の指導を受け、同年の福岡県美術展に入選する。1932年に上京し、1934年に日本美術学校絵画科に入学する。当時は大久保作次郎が指導しており、後に藤田嗣治、林武らにも師事する。1939年に日本美術学校西洋画科を卒業する。1940年に第27回二科展で初入選する。1943年に徴用により横川電機製図部に入る。終戦後は進駐軍に雇われ兵舎のホール等に壁画を描く。1946年に第31回二科展に出品して二科賞を受賞する。1950年に同会会員に推挙される。1951年に二科会の画家萬宮リラと結婚する。1960年に初めて渡仏する。1995年に二科展出品作「夕やけ空の風景」によって日本芸術院恩賜賞・日本芸術院賞を受賞し、日本芸術院会員(洋画)に選ばれる。1996年に碓井町立織田廣喜美術館が開館する。2003年にフランス政府より芸術文化勲章(シュヴァリエ章)を受章する。2006年には二科会理事長となり、2012年には名誉理事長に就任する。享年98歳。息子は洋画家・織田広比古。
2023年に美術愛住館で「堺屋コレクション展」が開催された。
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買取ポイント
織田広喜の作風
織田広喜といえば<少女>をモチーフにした絵画作品ではないでしょうか。
少女以外にもパリの風景などを制作していますが、買取価格に関しては<少女>が描かれている作品の方が評価しやすい傾向です。少女を描いている作品の中でも<赤い帽子>を被っている図柄だと良いとされています。絵の具をふんだんと使った荒々しいタッチが特徴で見る者を引き込む迫力があります。顔をはっきりと描かないのは鑑賞者に判断を委ねているかもしれません。
織田広喜は現実世界をそのまま描くのではなく「想像し嘘をつく」ことが絵の制作には必要であると語り、初期から晩年までデフォルメされた女性像を特色とする幻想的な作品を描きました。このような作品で多くのファンをつくりました。
織田広喜の現在の評価と価値
独特なタッチで少女を描く作家として有名な織田広喜ですが、近年の評価は全盛期に比べると厳しくなっている印象です。過去の相場を知っている方からするとビックリされる買取価格になるかもしれません。
具体的な買取金額はモチーフ、サイズ、描き込み等により異なりますが、数万円台になる事が多い印象です。美術館に収蔵されてもおかしくない作品に関しては数十万円台になるでしょう。市場に出回っているサイズはSM~4号以下の作品が多いため、美術館クラスはなかなか見かけないです。
油絵作品は湿気等によりワレなどのダメージがでる場合があります。作品の状態が悪いと評価に影響するため、保管には注意が必要です。また、多少贋作が出回っていますが、現在は所定鑑定機関が無いため、作品を見て判断させていただきます。
織田広喜の代表作品
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少女(油絵)
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少女(油絵)
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風景(油絵)