難波田龍起の買取価格とポイント
1905 ~ 1997年 物故作家。
北海道旭川市出身。生後すぐ東京に引っ越し、早稲田第一高等学校入学。関東大震災の際に町内の夜警の番に立ち、そこで高村光太郎と知り合い、アトリエに通ううちに美術に関心を抱くようになる。その後光太郎に川島理一郎を紹介され師事するようになり、川島主催の金曜会に参加。1929年、国画会展に初入選。この頃セザンヌやルドンに傾倒する。1937年に自由芸術家協会の設立に参加。1950年頃から具象から抽象に移り変わり、西洋のアンフォルメルという抽象画風をいち早く取り入れた作品を手掛ける。59年に自由美術家協会を退会し、以後は個展を中心に活動した。大学の美術科で教授を務めるなど、芸術推進の分野にも広く貢献している。87年に東京国立近代美術館で回顧展を開催。1971年に紺綬褒章を受賞、1994年には文化功労者として表彰されている。絵画の他に詩集もあり、次男の難波田史郎も画家である。
買取ポイント
難波田龍起の作風
難波田と言えば詩情溢れる抽象画が有名ですが、戦中期は高村光太郎に影響されて古代ギリシャやローマへのロマンに満ちた風景画も手掛けていました。
戦後になると具象から抽象へと移り、幾何学模様などのモチーフを経て60年代頃には鋭い線を使って叙情的な表現をするようになります。そのほかドロッピングや、厚く塗りこんだキャンバスにペインティングナイフで線を描くなど様々な技法にチャレンジしていきました。
油彩・水彩・版画を幅広く手掛け、その静謐で日本的詩情溢れる作品からは難波田の抽象への静かな熱い思いが感じ取れます。抽象画ながらも、どこかストーリーを感じさせる作品が多く、人柄を感じさせる澄んだ色彩ととてもマッチしています。晩年にコレクターの寺田小太郎と出会い、そこから100号を超える「生の記録」シリーズを制作するなど制作に対する熱意はいつまでも途絶えることはありませんでした。
難波田龍起の現在の評価と価値
難波田龍起は晩年よりも若い時に描かれた作品の方が評価は高い傾向です。
難波田らしい抽象キャンバス作品に関しては100万円を超えて買取できるものもあります。
キャンバス作品のほかに水彩や版画も制作しているため、売却をご検討の際はお気軽にご相談ください。
難波田龍起の代表作品
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群像(リトグラフ 1996年)
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青い人影(銅板画 1991年)
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海辺の詩より(銅版画)