人間国宝とも呼ばれる陶磁器作家 中島宏の略歴
1941年~2018年 物故作家。
佐賀県武雄市生まれ。1969年に弓野古窯跡に登り窯を築窯して独立する。1977年に日本伝統工芸会正会員となる。1980年に日華交流現代陶芸選抜展に招待出品し、翌年には西日本陶芸展にて総理大臣賞を受賞する。1983年と1984年に中国古窯跡並びに博物館を調査する。1985年には龍泉県古窯跡や南宋郊壇官窯跡を踏査する。1987年に日本橋高島屋にて個展を開催する。1992年にフランス・パリ展に招待出品する。1996年にMOA岡田茂吉大賞を受賞する。翌年には佐賀県芸術文化功労賞を受賞する。2007年には青磁にて重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。
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2007年に人間国宝に認定される
製陶所を営んでいた父の元に生まれ、幼い頃から窯仕事に従事していた中島ですが、若い頃は製陶所の仕事が辛くて嫌だったと言います。そんな中、きらりと輝く青磁の欠片を発見し、青磁の魅力に取りつかれていくことになります。28歳の頃「弓野窯」を開いて独立。その後たゆまぬ探求心と高い技術で自らのオリジナル「中島ブルー」を築き上げていきます。研究熱心なことから、青磁の本場中国も訪れ宋時代の作品や古窯跡を視察し、地元佐賀県武雄市の「古武雄」の収集家でもあったといいます。他に類を見ない鮮やかな青と奥深い彫りで作品を作り続け、日本陶磁協会賞金賞、西日本文化賞などを受賞、2007年には人間国宝に選ばれることとなりました。
中島宏が人間国宝として選ばれた理由
中島は若い頃から、4個上の兄の均さんや友人たちと陶芸の会を作り切磋琢磨していたと言います。周りから「青磁は難しい」と言われながらも「自分の存在感が出せる」と可能性を抱き、土と釉薬の研究を重ね、中国の窯元での経験や知識で常に日本の陶芸界を牽引してきました。日本工芸会副理事長に就任し審査方法の改革を進めるなど、後進の陶芸家の教育にも力を注ぎます。人間国宝とはいわゆる国の指定する無形文化財のことですが、個人で認定されないことには「人間国宝」とは名乗れません。現在様々な分野の有識人が認定されていますが、その数は全部で約110名しか存在しません。中島宏の飽くなき探究心と類まれなる作品への愛情が多くの人に認められ、2007年に人間国宝に晴れて選出されることになりました。
中島宏の作風
中島宏といえば、【青磁】で制作した作品でしょう。中国・朝鮮の青磁の写しから始めて、写しを続けたことにより、本場の技術が把握できたそうです。しかし、中島宏は写しでは満足できず、自分の青磁を見つけようとしました。その答えを窯変に見出しましたが、窯変の偶然を必然にするのに苦労したそうです。中国陶磁の大家として有名だった小山冨士夫を美の基準として、一心不乱に青磁に取り組んだ結果が、現在残る作品です。何層にも重ねられてできた色は美しく唯一無二の作品で、特に彫りを取り入れた重厚な作風の青磁は「中島ブルー」と呼ばれ、高い評価を受けました。
中島宏の現在の評価と価値
高価買取のポイントは、【彫】です。無色を重ねることにより青磁独特のブルーが生み出され、この色合いも中島宏の大きな特徴です。しかしながら、鮮やかなブルーを表現するだけではなく、中島宏は中国の青磁と一線を画す作品を追い求めました。その到達点のひとつが彫を入れて立体感を出した作品です。伝統的な青磁作品に中島宏の感性が存分に発揮された作品ではないでしょうか。色合いを重視したシンプルな青磁作品と比べて評価が高い傾向です。
買取金額は数万円台から10万円以上と様々で、サイズが大きく立体感がある作品は高価買取しやすいです。中島宏の作品のご売却をご検討の際は、お気軽にご相談ください。