「多才」宮永岳彦の略歴
1919年~1987年 物故作家。
日本の洋画家。静岡県生まれ。1936年に名古屋市立工芸を卒業する。松坂屋に勤務しながら制作を続け、1941年より正宗得三郎に師事する。戦後は二紀会に参加し、1947年第1回展に「鏡」を出品して褒賞受賞。同年二紀会同人となる。1950年に日本宣伝美術協会の創立に参加する。1954年に第8回二紀展に「裸婦A」「裸婦B」を出品して同人努力賞受賞する。1957年に同会委員、1972年には理事に就任する。1974年に日伯文化協会の要請により「皇太子殿下、同妃殿下肖像」を描き、同年ブラジル国公認サンフランシスコ最高勲章グラン・クハース章を受章する。また同年第28回二紀展に「ROKUMEIKAN 煌」を出品して菊華賞を受賞する。1986年には二紀会理事長に就任する。代表作は<碧><鵬>などがある。享年68歳。
宮永岳彦の作品の買取ポイント
宮永岳彦の作風|宮永が描く「女性」は美しい横顔で多くの人を魅了
宮永岳彦といえば<女性>をモチーフにした絵画作品ではないでしょうか。
宮永岳彦が描く女性は、自分に自信を持ち自立した強い女性像だと感じます。正面を見ている構図は多くなく、美しい横顔を私たちに見せてくれます。絢爛豪華という言葉がよく似合う作風で、方向性は異なりますが古来日本の金箔を使用した絵師たちと遜色がないほど華やかです。金箔のように素材自体に華やかさがあるものを使用せずに瀟洒な雰囲気を出せるのは作家の洞察力や表現力の賜物です。宮永岳彦のタイトルは漢字一文字で表していることが多いです。
バブル期前後に人気があった作家だったため、時代背景も追い風となって非常に高価な金額で販売されていました。その時の金額と比べると大幅に下がっているのが現状ですが、その中でも高価買取のポイントを紹介させていただきます。
宮永岳彦の現在の評価と価値
没後30年以上経過した現在でも相場が残る作家のひとりです。宮永岳彦の買取ポイントは<ステンドガラス>でしょう。宮永岳彦が制作した作品の多くは女性を題材にしており、市場では最も評価が高いといえます。その中で背景にステンドガラスが描かれているかが買取価格に影響を与えます。油絵作品の買取金額は数十万円台になる事が多いです。
油絵作品は湿気等によりワレやカビなどのダメージが発生しやすいです。コンディションにより評価が変わるため、保管には注意が必要です。宮永岳彦の作品は、油絵作家では珍しく共シールがあり、無いと若干査定に影響します。油絵などの原画作品は<東美鑑定評価機構鑑定委員会>で鑑定書を取得できますが、無くても買取は可能です。ご売却をご検討の際は、お気軽にご相談ください。
「秦野市立宮永岳彦記念美術館」で宮永岳彦の作品が鑑賞可能
神奈川県秦野市に、「秦野市立宮永岳彦記念美術館」があります。宮永は静岡生まれですが、兵役のあと実家がある秦野にアトリエを構えそこで15年間制作活動に励みました。記念美術館では、約400点もの宮永岳彦の作品を季節やテーマごとに変更して展示しています。
市民の創作活動の発表の場所として作品スペースも貸し出しており、盛んに交流が行われています。
宮永岳彦の代表作品
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煌(油絵)
ゴージャスな金色の背景に、美しい女性の横顔が映える一枚です。人気の構図の一つと言えるでしょう。
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女性(油絵)
珍しく正面を向いた女性の作品です。装飾品が金色に映えて美しく、素朴な女性の顔立ちとの対比が見事な一枚です。
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女性(版画)
お洒落で高級感の漂う女性の楽しそうな表情が特徴的な一枚です。油絵に比べて、査定価格は落ち着いたものになりそうです。