三輪休雪の陶器の買取価格とポイント
1910年~2012年 物故作家。(十一代目/壽雪)
山口県萩市生まれ。本名は節夫。家督を継いでいた次兄の休和を助け、陶技を学ぶ。以後、独立までの約30年間は作陶に費やす。その期間中の1941年に三重県津市に工房を構えていた川喜田半泥子の千歳山窯に弟子入りする機会を得て、茶陶の制作を志すきっかけとなる。1955年から雅号を「休」と称して作家活動を開始し、57年には日本伝統工芸展に初出品した「組皿」が入選する。1960年には日本工芸会正会員となる。
1967年に兄の十代休雪が隠居するため十一代休雪を襲名する。1983年重要無形文化財「萩焼」保持者に認定される。兄弟での人間国宝認定は陶芸界で初の快挙。2003年に長男・龍作へ休雪を譲り、自らは壽雪と号を改める。最晩年も積極的に作陶を続ける。享年102歳。
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陶器買取のポイント
三輪休雪について
三輪休雪の歴史は古く1663年に初代・休雪が萩毛利藩に召し抱えられたのが始まりです。1682年に現在の地に移り、時代と共に変貌を遂げます。明治維新ののちには毛利藩の後ろ盾を失いましたが窯の火を絶やすことなく萩焼の技法を守り続けました。十代休雪の際に「休雪白」という厚塗りの白い釉薬を生み出したのが大きな転換点です。現在でも作品の流通量が担保されている十代目から十二代目まで見ていきます。2019年に襲名した十三代も情報量は少し少ないですが載せています。
鑑定について
現在所定鑑定機関はありませんので現物を見て判断させていただきます。贋作も出回っていますので注意が必要です。現代の陶芸に関しては共箱(ともばこ)が価値を支える重要な役割を担っています。現存作家なら書き直してもらうことも可能ですが、物故作家は不可能です。共箱を閉まっている方は売却するまでに探すことをおススメします。共箱が無いだけで通常の価格から著しく下がります。
三輪休雪の作品
十代・休雪(1895~1981)休和
山口県阿武郡に九代休雪の二男として生まれました。1908年に萩中学校に入学しましたが祖父雪山の説得により中退し、家業に従事して父に学びました。1927年に父の九代雪堂が隠居したため、32歳の若さで三輪窯十代を継承し休雪と号しました。1942年に三重県津市千歳山の川喜田半泥子宅に金重陶陽、荒川豊蔵、三輪休雪の三人が集まった際「からひね会」を結成したそうですが、戦禍の激しくなり具体的な芸術活動には到らなかったです。近代陶芸界を代表する錚々たる面子です。1944年に大阪美術倶楽部で初の個展を開催して、戦後も積極的に活動していました。1955年頃より萩焼の特色である白釉で独特の技法を編み出し「休雪白」の名で呼ばれるようになりました。1967年に弟が十一代休雪を襲名し、十代目は「休和」と名乗るようになりました。1970年には重要無形文化財萩焼保持者(人間国宝)として認定されました。享年86歳。
買取相場は十代休雪と休和では大きな価格差はありませんが、休和の方が若干評価は高いです。萩焼は茶道の世界では有名で「一楽二萩三唐津」と呼ばれるくらい由緒あります。その為、茶道具に使用される茶碗・水差・茶入等を制作している作品が多いです。
十一代・休雪(1910~2012)壽雪
略歴は冒頭をご覧ください。三輪休雪の中でも十一代目の役割は大きかったです。兄の十代休雪(休和)と共に人間国宝に認定されるなどの功績を残しました。彼の作風は萩焼の伝統を受け継ぎながらも独自の感性を取り入れて、茶陶の作風に新たな展開を見出しました。藁灰釉を活かした伝統的な萩焼の白釉を兄・休雪と共に革新させ、純白に近いような「休雪白」を創造しました。色合いの美しさだけではなく立体感がある厚塗りの技法は古典的な萩焼のスタイルには無い物でした。また、十一代目は「休雪白」を用いて「白萩手」「紅萩手」「荒ひび手」といった、豪快で大胆なスタイルを確立しました。
十一代目の到達地点は「鬼萩」でしょう。粗めの小石を混ぜた土を原料とした古くからの技法を基に到達した表現様式です。この鬼萩が三輪家の名を轟かせました。
長男は龍作(十二代目)、次男は栄造(後に叔父・休和の養子になる)、三男は和彦(十三代目)です。
買取相場は十一代目が三輪家の中では最も高いです。多くの作品は十一代襲名中よりも壽雪名の方が評価は高いです。買取の評価で両者に共通する点は「鬼萩茶碗」が最も人気があります。割高台がある作品などは特に人気があります。
十二代・休雪(1940~現在に至る)龍作/龍気生
1940年に十一代休雪(壽雪)の長男として山口県萩市に生まれました。弟は十三代休雪(和彦)です。1967年に東京藝術大学大学院陶芸専攻修了し、処女作は「花子の優雅な生活(ハイヒール)」です。1974年に萩市上野に開窯し、作家として本格的にスタートしました。1977年に萩女子短期大学教授就任し、79年には国際陶芸アカデミー入会しました。2003年に父から十二代休雪を襲名し、前衛的な作品を数多く生み出しました。2019年に家督を弟の和彦に譲り、隠居して号を「龍気生(りゅうきしょう)」としました。
萩焼は茶道具に関する焼き物の制作をしていましたが、十二代目は常識にとらわれないユニークな作品を生み出しました。特に襲名する前の龍作名での作品はコンセプチュアルでした。
十三代・休雪(1951年~)和彦
山口県萩市に十一代休雪(壽雪)の三男として生まれました。本名は和彦で、兄は十二代休雪(龍気生)です。1975年に米国に留学して帰国後の1981年から三輪窯で制作を開始しました。2019年に十三代三輪休雪を襲名し三輪窯を引き継ぎました。兄の龍作と同様に独創的な作品が多いのが特徴です。
買取相場に関してですが、十三代襲名後の作品は市場での流通量が少ないため和彦名の作品相場を考慮して判断させていただきます。十二代目と比べると落ち着いた買取価格になる印象です。