三島喜美代

三島喜美代の買取価格とポイント

1932年 ~ 現在に至る。
大阪府生まれ。十三の裕福な家庭に生まれ、幼い頃から好奇心旺盛な子供であった。1969年まで独立美術協会に所属。夫の三島茂司氏は、前衛美術集団である具体美術協会を率いる吉原治良に師事していた画家であり、数々の芸術家と交流を持つ。1950年頃からは印刷物や廃品のコラージュによる実験的な絵画作品を制作、70年代頃からセラミックにシルクスクリーンで印刷物を刷った立体作品へ転向する。1986年からロックフェラー財団奨学金によりニューヨークへ留学。70年代以降、常に人々が最新版を追い求めては次々に淘汰していく「情報」を、儚く割れやすい陶器に転写させ、その脆さを表現した作品で近年脚光を浴びた。代表作とも言えるパブリックアートは、天王洲アイルの街中や直島のベネッセハウスミュージアムの敷地内で見ることが出来る。東京都大田区のART FACTORY城南島では常設展を開催中。90歳を超えた現在も精力的に活躍している。

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三島喜美代の作品の買取ポイント

三島喜美代の作風

三島喜美代と言えば、巨大なゴミ籠ではないでしょうか。直島にあるゴミ箱は5mもの高さがあると言います。ゴミ箱の中に入れられたゴミは本物ではなく陶器で作られており、様々なラベルがシルクスクリーンで転写されています。とはいえ完全に陶器なわけではなく、火山灰や産業廃棄物などを素材に利用し作品に再生利用するという徹底ぶりです。
基本的に物を捨てられない性格のようで、土岐市にあるアトリエには三島本人が集めた一見「ゴミ」のようなものが沢山集められています。初期はコラージュ作品、それ以降は陶器に様々な情報を転写した作品が多く、マルチプル作品も制作しています。

三島喜美代の現在の評価と価値

金麦、宝缶チューハイ、サッポロ黒ラベルなど時代を反映させたオブジェはまさに現代アートではないでしょうか。作品のサイズ、制作方法(セラミックにプリントのみ、彩色が入るなど)、モチーフ、点数などによって評価が異なります。ご売却をご検討の際はお気軽にご相談ください。

三島喜美代の代表作品