糸園和三郎の絵画・油絵・版画の買取価格とポイント
1911年~2001年 物故作家。
日本の洋画家。大分県で営む呉服商の家に生まれる。中津南部尋常小学校5年生の時に骨髄炎にかかり手術を受ける。一年遅れて小学校を卒業したが、病気のために進学を断念する。1927年に画家を志し上京し、父から絵を描くことを勧められたのをきっかけに川端画学校、前田寛治写実研究所で学ぶ。1930年には第8回春陽会展に「赤い百合」「上井草」が初入選する。31年第1回独立美術協会展に初入選し、独立美術研究所に通う。1932年頃に新宿区下落合に居を移す。その後、シュルレアリスム風の作品を発表して注目を集めるようになり、1943年に井上長三郎の呼びかけに応じて松本竣介、靉光(あいみつ)、麻生三郎らと新人画会に加わる。1946年に日本美術会創立に参加し、47年に美術文化協会を退会して新人画会のメンバーと自由美術家協会に参加する。1964年に自由美術家協会を退会、以後無所属となる。1957年から81年まで日本大学芸術学部で後進を指導する。享年89。
買取ポイント
糸園和三郎の作風
代表的なモチーフを決めるのには難しい作家ですが、市場に出回っている作品を考慮すると<馬>や<鳥>を描かれている絵画作品が高額買取しやすいです。シュルレアリスムに影響を受けており、日常から少しだけずらした世界観を鑑賞者に与えてくれます。
糸園は心に浮かんだ映像を長い時間をかけて醸成させ、キャンバスの上に写す方法で作品の制作をしています。画面から余計な対象物が排除されて詩情と人間のぬくもりを感じさせるものであり、油彩以外のもガラス絵も後世に残しました。
糸園和三郎の現在の評価と価値
没後20年経過した現在でも相場が残る作家のひとりです。糸園和三郎の評価基準はシンプルではなく、総合的に判断させていただきます。風景より花を描いた作品の方が高い、初期の作品よりも晩年の作品の方が高い、など判断が容易な作家も多いですが糸園和三郎は1点1点確認する必要があります。
市場から人気がある作風は紫色をメインカラーにして「人物がいる風景画」、「馬」、「鳥」などの作品で、比較的高い金額で買取しやすいです。作品の構成、色味、サイズなどすべて重要です。買取金額は数万円台から数十万円台と様々です。
鑑定について
糸園和三郎の油絵作品は<東美鑑定評価機構鑑定委員会>が所定鑑定機関になりますが、鑑定書が無くても査定は可能です。必ず取得しなくてはならない作家ではないため、ご売却をご検討の際は、お気軽にご相談ください。真贋の判断に迷う作品だけ鑑定書を取得させていただきます。
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