猪熊弦一郎の絵画・油絵・版画の買取価格とポイント
1902年~1993年 物故作家。
香川県高松市生まれ。1921年に香川県立丸亀中学校を卒業後に上京する。本郷洋画研究所で学び、翌年東京美術学校西洋画科(後の東京藝術大学)に入学する。同期には、牛島憲之、岡田謙三、荻須高徳、小磯良平、山口長男らがいた。一時期病のため休学するが、1925年から藤島武二教室で学ぶが再び健康を害したため東京美術学校は中退する。1938年に渡仏し1940年まで滞在する。ニースにアンリ・マチスを訪ねその指導を受け、藤田嗣治とアトリエを共にする。同年藤田、荻須らと同船し帰国する。戦時中は従軍画家として戦地に向かう。1955年に立ち寄ったニューヨークに魅了されアトリエを構える。翌年からニューヨーク・ウィラード画廊の所属画家となる。以後20年間ニューヨークを足場に制作活動を展開する。1973年に脳血栓を患ったため、1975年にニューヨークのアトリエを閉じ、翌年からは冬期をハワイで静養する。夫人を亡くしてからの晩年は「顔」のシリーズに意欲を燃やす。享年90歳。
2023年に MITSUKOSHI CONTEMPORARY GALLERYで「三越創業350周年 猪熊弦一郎とマティス展」が開催された。12月現在丸亀市猪熊弦一郎現代美術館で「回復する」が開催中。
ゆかりの地・丸亀市に猪熊本人監修の元創設された丸亀市猪熊弦一郎現代美術館のHPはコチラ
猪熊弦一郎の作品の買取ポイント
猪熊弦一郎の作風
猪熊弦一郎といえば、日本抽象画界の第一人者といえます。美術界の覇権をフランスが握っている中いち早くニューヨークを拠点にして時代を代表する作家たちと交流し革新的な作品を世に生み出してきました。明るくモダニズムな絵画を抽象的に描き、具象という枠から解放された自由な作風です。幾何学的な表現方法で明確な色彩と点や線による画面構成は生きる活力になるでしょう。
猪熊弦一郎の現在の評価と価格相場
没後20年以上経過した現在でも評価が高い作家のひとりです。猪熊弦一郎の高価買取ポイントは<抽象>でしょう。半具象のモダニズム絵画から幾何学的構成による抽象へと転じ、明るい色彩と単純な点や線による明快な構成に独自の作風をうち立て、戦後を代表する抽象作家です。戦前の具象画、戦後の半具象、ニューヨーク時代の抽象、晩年の顔シリーズなど様々な表現様式で作品が残されています。
作品により数万円~数百万円と買取査定額に幅が出るため、ご売却をご検討の際は、お気軽にご相談ください。紙に描かれている作品よりはキャンバスに油彩の方が高買取しやすいですが、制作年代や図柄によっては評価が異なります。
絵画作品は湿気等によるワレなどのダメージがでる場合があります。紙に描かれている作品はシミや紙の破れ等のダメージが発生しやすい印象です。コンディションにより評価が変わるため、保管には注意が必要です。
猪熊弦一郎の原画作品は<日本洋画商協同組合>が所定鑑定機関になりますが、鑑定書が無くても査定は可能です。
丸亀市猪熊弦一郎現代美術館にて作品展示中
丸亀市猪熊弦一郎現代美術館は、丸亀市の市制90周年を記念して市ゆかりの画家・猪熊源一郎の協力のもとに1991年に開館しました。建築家の谷口吉生デザインによるスタイリッシュな美術館で、丸亀駅前にあります。猪熊本人寄贈による約2万点の作品を常設するほか様々な企画展も開催されており、講演会やワークショップなど盛んに催されています。
子どもの可能性を信じ、たくさんの芸術に触れてほしいという猪熊の願いから子供の観覧料は無料となっており、ワークショップや造形教室など子供向けプログラムが充実していることでも有名です。
上野駅の改札に猪熊弦一郎の作品が壁画として展示中
JR上野駅の中央改札の上部分を見上げると、大きな壁画が目に入ると思います。これは猪熊弦一郎が1951年に描いた「自由」と言う名の絵です。普段改札を通る人は、急いでいたり目の前ばかりを見ているのでなかなか上を見上げることはないかもしれませんが、上野駅に行ったときは少し立ち止まってこの壁画を探してみてください。「自由」というタイトルどおり、様々な人や動物が思い思いの恰好で自由奔放に過ごしている姿が伸び伸びと描かれています。
上野駅は東京の玄関口とも言われていましたが、この絵が描かれた1950年代はまだ終戦後のまだ混沌とした空気が残っていたそうです。それを感じ取った猪熊が、上野駅を通る全ての人に希望や笑顔を届けたいと思い完成させたのがこの「自由」でした。青一色の背景に、色々な職業の人やたくさんの動物が自由に過ごして生き生きとしている姿には元気づけられるものがあります。
過去に2度の修復を施され今も愛され続けている壁画、是非一度上野駅でご覧ください。
三越の包装紙「華ひらく」を猪熊弦一郎がデザイン
日本の百貨店初のオリジナル包装紙「華ひらく」は1950年に猪熊源一郎によりデザインされました。
元はクリスマス用の包装紙でしたが翌年からも引き続き使用されることとなり、今現在も変わらず三越の代名詞として愛され続けています。
「華ひらく」のアイディアは、猪熊が犬吠埼を散歩していた時に見つけた二つの石から浮かんできました。長い間波にさらわれ洗い流されて丸くなった石に自然の造形美を見出し、戦後を強く生き抜いていかねばならないとインスピレーションを受けたそうです。
包装紙は平面ですが、物を包んだ後のふくらみや曲がり方を加味してもそのデザインの優秀さが目立ちます。白地に赤で描かれた曲線や直線に、当時三越の宣伝部の社員だったやなせたかし氏が「mitsukoshi」と書き入れて完成した包装紙は今でも多くの人に愛され続け、2019年には「グッドデザイン賞・ロングライフデザイン賞」を受賞しました。
田園調布に妻や親族と暮らした自宅兼アトリエがある
猪熊弦一郎はパリ・ニューヨーク・ハワイなど拠点を移してきましたが、晩年の住まいは東京の田園調布の静かな住宅街の中に建てました。建築デザインはかねてから親交のあった建築家・吉村順三氏に依頼。真っ白な三階建ての家には、妻の文子さんが作る料理を囲みながら、多くの芸術家やクリエイターが集まり親交を深めたそうです。
現在は妻・文子さんの姪の夫であり建築家の大澤悟郎さんが事務所として使っています。家は使わないとあっという間に衰えてしまうので定期的に家中のメンテナンスをしながら、動線の心地よさやデザインの優秀な部分に改めて驚かされているそうです。
猪熊弦一郎の代表作品
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顔(版画)
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宇宙滑走路(版画)
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四十年の歩み(版画)