平賀亀祐

平賀亀祐の油絵・版画の買取価格とポイント

1889年~1971年 物故作家。
三重県生まれ。太平洋に面した漁村、英虞(あご)郡片田村(現・志摩市志摩町片田)の出身で、そこは明治政府が海外移民を奨励した時代にアメリカへ移った村人が多く、「アメリカ村」と呼ばれていた。西洋絵画への興味から、16歳の時に神戸港からサンフランシスコに渡った。1955年まで日本に戻ることはなかった。1906年に米国移民となり、時計宝石店の見習いや、サンペドロで漁師として働いて学資を稼ぎ、1909年からサンフランシスコ美術学校で学ぶ。1915年に学校の展覧会で大賞を得て卒業した。同じ年のサンフランシスコ万博で日本館の装飾の仕事を行ない、アメリカ国内やハワイなどの各地の日本大使館の内装の仕事を依頼されるようになった。1925年にパリに渡り、私立学校のアカデミー・ジュリアンで学ぶ。藤田嗣治、ピカソ、モディリアーニらと交流をもつ。フランス政府より日本人画家として初めてレジオン・ドヌール勲章を受ける。パリで亡くなる。三重県の志摩市役所大王支所の三階に平賀亀祐記念館が開館される。

買取ポイント

平賀亀祐の作風

平賀亀祐といえば、<風景>を題材にした絵画作品ではないでしょうか。
パリで写実派の画家として成功をおさめた平賀亀祐は、明快で落ち着きある色彩でパリの街頭を中心に様々な風景を描きました。色彩は落ち着いていますが、マチエールは荒々しくフォービスム(野獣派)の影響を少なからず受けているのかなと感じます。風景は重厚で対象の質感をあるがままの姿を写し、その光の加減から温もりまでも表現しています。平賀亀祐が過ごしたパリの雰囲気を数十年の時を越えて感じさせてくれます。ダイナミックなタッチとは裏腹に亀をイメージしたサインが特徴的で遊び心を感じます。

平賀亀祐の現在の評価と価値

没後半世紀が経過した現在でも相場が残る作家のひとりです。高価買取のポイントは<マチエールと色味>でしょう。1900年代初頭から半ばのフランス絵画全盛期に学べたことは作家にとって大きな財産です。その時代で栄えた芸術運動を平賀亀祐のフィルターを通して表現された絵の具の質感だけではなく、作品が描かれた当時の雰囲気を感じることができるかが重要です。買取金額は数万円台から10万円以上まで様々です。全盛期に比べると落ち着いた価格帯ですが、その中でも精一杯の買取金額をご提案させていただきます。

油絵作品は湿気等によりワレやカビなどのダメージが発生しやすいです。特に平賀亀祐の作品はダメージが出ていることが多いため、保管には注意が必要です。当然ですがダメージが発生していると、買取金額に影響を与えます。現物の確認後に最終的な判断させていただくため、ご売却をご検討の際はお気軽にご相談ください。

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平賀亀祐の作品

  • ブルターニュ(油絵)

    少しトーンが落ち着いていますので、数万円~10万円前後の買取査定額となります。

  • 欧州風景(油絵)

    平賀亀祐が得意とする海外風景です。

  • 海外風景(油絵)

    遠近法を使った典型的な西洋様式です。