ゲルハルト・リヒター
1932年~現在に至る。
ドイツのエルベ川の谷間に位置している都市、旧東ドイツのドレスデンに生まれる。1952年から1956年の間に美術大学で学ぶ。1959年にカッセルのドクメンタⅡを訪れ、ポロック、フォンタナらの抽象画に感銘を受けて西側への移住を決意する。1961年3月にベルリンの壁ができる数カ月前、妻と共に地下鉄で西ドイツに亡命し、西ドイツに行ってからは、デュッセルドルフ芸術大学に入学し独自の作風を展開する。
1962年頃からぼやけた写真をもとにした絵画制作を始める。1971年からデュッセルドルフ芸術大学で教授として15年働く。1985年にウィーンでオスカー・ココシュカ賞を受賞する。1991年にロンドンのテート・ギャラリーで回顧展が開催される。1997年に高松宮殿下記念世界文化賞・絵画部門受賞、ヴェネツィア・ビエンナーレ金獅子賞も受賞する。
買取ポイント
ゲルハルト・リヒターの作風
現在、世界で最も注目を集める重要な芸術家のひとりであり、20世紀後半に登場した新欧州絵画の開拓者であるともみなされています。また、知的で思索的な表現様式でも知られています。
リヒターが生まれたドレスデンは旧東ドイツにあたる場所で、この学校は当時、社会主義レアリズム以外の思想は認めないとする教育方針でした。社会主義に相反する芸術はもちろん、印象派以降の作品や書籍も禁止されていました。芸術が国家のプロパガンダを支援するように利用されていました。特に写実的な様式を求められていました。
西側に移ると写真をもとに写実主義と抽象を合わせた代表的なモチーフを生み出しました。
写真を重要な情報源として活用する事に疑問を抱き、それを独自の表現様式で鑑賞者に問題を提起します。
ゲルハルト・リヒターの現在の評価と価値
新聞や雑誌の写真を大きくカンバスに描き写し、画面全体をぼかした「フォト・ペインティング」、写真の上に絵具を描く「オーバー・ペインテッド・フォト」など、写真と絵画の意義や境界線を探求するのがリヒター作品の特徴です。非常に多彩なスタイルで、表現スタイルやコンセプトが一貫していないところから、ピカソやジャン・アルプと同じ系統とされています。
2012年に競売大手サザビーズがロンドンで行った競売では、生存する画家の作品としては当時史上最高額の約26億9000万円で落札され、2014年にはクリスティーズで、36億円という高額を記録しました。