ジョルジュ・ブラックの版画の買取価格とポイント
1882~1963 物故作家。
フランス・パリ郊外に生まれる。1890年に一家はル・アーヴルに移り、美術学校に通う。1899年に学校をやめ、塗装業の見習いとなる。翌年には塗装の修業を終え、パリに出る。バティニョールの市立美術学校で絵とデッサンの勉強を続ける。1902年にアカデミー・アンベールとエコール・デ・ボザールのレオン・ボナの教室に入る。1905年にフォーヴィスムの影響を受けて、大胆な色彩の作品を制作する。1907年にピカソのアトリエで《アヴィニョンの娘たち》やセザンヌの回顧展を見て、この頃から作風が変わり始める。1911年に葡萄の房やバイオリンが登場する作品を多数製作する。1937年にカーネギー国際大賞を受賞して国際的名声を獲得する。1948年にベネチア・ビエンナーレで大賞を受賞。1953年にルーブル美術館・シュリー翼のアンリ二世の間の天井画を手掛ける。1963年に逝去。ルーヴル美術館の前で国葬が執り行われる。
ジョルジュ・ブラックの作品の買取ポイント
ジョルジュ・ブラックの作風
ピカソとともにキュビスムを生み出した20世紀を代表する画家ではないでしょうか。ピカソと比べると市場評価は落ち着いていますが、マーケットでは高い人気を誇っています。
ブラックはピカソらと共にキュビスムと呼ばれる新しい表現様式を追及しました。キュビスムとは、ひとつの固定された視点から空間を捉える遠近法を否定し、いくつもの視点から見た形を組み合わせることにより対象物を表そうとした試みです。常識とされている西洋絵画の伝統に対して疑問を抱き、新たなモノの捉え方を生み出しました。20世紀美術の大きなターニングポイントとして今後も歴史に残るでしょう。
ブラックのキュビスム作品の特徴はテーブルの上の静物ではないでしょうか。テーブルや静物などを分解して、ブラックの感性により自由に配置されています。
キュビスムの作家として認知度は高いですが、ブラックの作風は3つに分けることができます。作家としてのキャリアのうち、マーケットに望まれる時代で分けることができます。
まず、1905年から1906年にかけてのフォーヴ(野獣派)の時代です。短期間ながらアンドレ・ドランやヴラマンクの作品と同じぐらい刺激的です。
次は1909年から1914年にかけてのキュビスムの時代です。最も認知度が高い時代でしょう。
最後は、世界大戦を終えて再度キュビストに戻った後期の時代です。1950年代初頭、アトリエの室内を描いた一連の重要な作品で評価は最高潮に達しました。
ピカソとの共同制作後は独自のスタイルを確立
キュビスムという新しい概念を生み出しピカソと共同制作を行っていた時期は、両者の作品の区別がつかないほどであったと言います。二人の共同制作は1914年の第一次世界大戦がはじまるまで続いたと言われていますが、出征したジョルジュ・ブラックは、1915年のカレンシーでの戦闘で頭蓋骨に穴が開くという重症を負って一時的に失明してしまい、長期間の療養生活を余儀なくされます。
休養期間を経て1917年には一人で制作を開始しますが、それまでの幾何学模様を用いた作風とは違い、より温かみのある色彩で対象物を描くことが多くなります。特に静物画を多く制作しましたが、人を描くこともありました。亡くなるまで絵画・版画・立体作品など制作を続け、ジュエリーの制作や本の挿絵など様々な芸術表現の場で活躍。自らの芸術を追い求め続けたブラックは1963年に逝去しましたが、フランスの偉大な芸術家としてルーブル美術館の前で国葬で弔われました。
ジョルジュ・ブラックの現在の評価と価格相場
上記の評価は主に油絵作品に対してです。国内で流通している作品の多くは版画作品です。戦後に作られた作品が多く、リトグラフや銅版画で摺られています。現在の市場動向を考慮すると、買取金額は数万円台から数十万円台と様々です。
最終的には現物を拝見して具体的な金額をご提案させていただきます。ジョルジュ・ブラックの版画作品のご売却をご検討の方は、お気軽にご相談ください。
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ジョルジュ・ブラックの代表作品
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作品
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黒い馬車
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コンポジション
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ギター
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静物