福沢諭吉

福沢諭吉の買取価格とポイント

1835年~1901年 物故作家。
大坂堂島新地5丁目(現在の大阪府大阪市)にあった、豊前国中津藩(現在の大分県中津市)の蔵屋敷で生まれる。1863年父が他界し、大分へ帰郷。貧しい家計を支えながら14歳で塾へ通い始め、19歳で長崎へ行き蘭学を習得する。そのあと1860年~1867年、遣欧米使節に参加し、戒臨丸で渡航。1866年「西洋事情」を刊行し、その2年後に蘭学塾を「慶應義塾」と名づけ、ここから彼の教育改革が始まる。手紙や原稿は多く発見されており、漢詩を好むようになったのは44歳以降、年代不詳の一行書「商機一刻値千金」や「独立自尊唯是修身之法」も発見されている。

他にも三行書や詩書、六行書の掛け軸などがあり、著作と同様に多くの作品を発表。漢詩「公平論出不平人」や「交人如乗馬」、「所思不可言」や「独得意中」など掛け軸としても人気を集めている。特に自身の人生を振り返った詩書は、福沢諭吉の生涯を感じられる名作。「独立自尊 新世紀を迎う」の複製や本山彦一へ宛てた手紙、自筆原稿の「中津留別之書」は、福澤諭吉旧居・記念館に展示されている。2009年東京・大阪・福岡・神奈川で開催された展覧会では、早稲田大学野球部から慶應義塾野球部への挑戦状も展示され、多くの人を熱狂させる早慶戦は彼の書から始まったと言っても過言ではない。

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福沢諭吉の作品の買取ポイント

福沢諭吉の作風

1つ1つの完成度が高く、書の流れはしなやかで高雅です。雅号は「三十一谷人」。三十一谷人とは老子の言葉に由来し、「世俗の生きる」という意味が込められています。いつから筆をとりはじめたのか詳細は不明ですが、自由と平等を掲げてきた教育者だからこそ、学びや感情が込められた造形美と言えるのではないでしょうか。オランダ語や英語にも精通している彼の作品は、「はね」「はらい」において、他の人には表現できない独特の風合いを感じさせます。文字の太さや全体のバランス、墨のかすれ具合や言葉のストーリー性は、卓越した技術と高い教養を漂わせているでしょう。

「学問のすゝめ」がベストセラーとなり著作者のイメージが先行しますが、芸術的センスは書家と呼んでも異論はないかもしれません。遺墨となった「独立自尊迎新世紀」は晩年に書かれた作品ですが、年齢を老いてもなお力強い筆運びが反映されています。これは1901年、「20世紀を迎える世紀送迎会の席でしたためられた作品で、新しい時代への希望が込められています。

福沢諭吉の現在の評価と価値

買取金額は数万円から100万円を超えるものまで様々ですが、10~30万円前後に落ち着く事が多い印象です。金額に関しては文字の内容、サイズ、コンディション等様々ですが、絵と同じように書も何が書かれているかが重要となります。
幼少の頃から迷信を信じず、権力にも一切媚びなかった福沢諭吉の書は、彼の思想に感銘を受けた中高年や高みを目指す経営者に人気があります。著書「女大学評論」や「新女大学」で述べたとおり女性に対する評価も高く、男性のみならず女性ファンも広がり始めているでしょう。下級武士の子供から慶應義塾の創設者まで昇りつめた福沢諭吉に憧れ、社会での成功を志す若い世代からも注目されています。漢文「黄岡竹楼記」や漢詩「黒雲吐明月」など解釈の難しい書も存在していますが、なめらかな筆遣いと優美な文字に魅了されること間違いありません。

西洋文化を日本へ持ち帰る。教育活動に力を注ぐ。このような偉業も目立ちますが、啓蒙思想家として評価されると同時に書の価値も上がっていきます。1878年廃仏毀釈の際に詠んだ「購古銅佛詩」や鑑定書付きの「國權論」脱稿の掛け軸など、高額な買取となる作品も珍しくありません。発見されている書はシワやシミ、色褪せなど作品の状態も様々です。1万円紙幣の肖像画が渋沢栄一へ変わっても、福沢諭吉の書の価値は大きく下落するわけではありません。

「この書はどれくらいの価値だろう」と疑問に感じたときや、ご売却をご検討の際はいつでもご相談ください。