榎倉康二の買取価格とポイント
1942年~1995年 物故作家。
東京に生まれる。1966年、東京藝術大学美術学部油画科を卒業。1968年に同大学院美術研究科油画専攻修了する。1970年、「第10回日本国際美術展 Tokyo biennale ‘70」へ参加。1971年に「第7回パリ青年ビエンナーレ」へ作品「壁」を出品し、優秀賞を受賞している。その奨学金を活かし、1973年~1974年までフランスのパリへ滞在。1976年「第2回シドニー・ビエンナーレ」、1978年「第38回ヴェネツィア・ビエンナーレ」へ出品し、世田谷美術館や国立国際美術館など日本での展覧会へも出品している。
1981年、東京芸術大学美術学部講師に選任。1983年に助教授となり、1993年教授へ昇進した。1995年北九州市立美術館と広島市現代美術館での展覧会へ出品し、一般的にも広く知られるようになる。2012年アメリカのロサンゼルスで開かれた「太陽へのレクイエム:もの派の美術展」へ出品し、それをきっかけにニューヨークでも個展を開催。石・鉄板・ガラス・電球などものをテーマとした作品が多く、もの派と呼ばれる作家となった。キャンバスに描くだけではなく、「予兆-床・水」や「海・肉体」などの写真作品にも取り組んでいる。
榎倉康二の作品の買取ポイント
榎倉康二の作風
藁半紙に油を浸透させる。壁にオイルを染み込ませる。アクリル塗料をつけた木材を綿布に押し当てる。榎倉康二は独自の手法を使って、他にはない独創的な世界観を表現しています。絵筆をとってキャンバスに向かうのではなく、様々な物質との出会いで創造性や社会の空間を演出しているでしょう。1970年に発表された「場」は、油を染み込ませた藁半紙の高さを変えながら床に敷きつめた作品で、リアルな質感と風合いが特徴です。壁に大きな布を張る。シミのついた絨毯を展示する。皮と合板を合わせたアートもあり、常識にとらわれない芸術性が人気の秘密かもしれません。1つのテーマをシリーズ化した作品も多く、作品タイトルが付けられていない場合もあります。
初期に活動した記録や晩年の写真をまとめた「予兆-Kouji-Enokura Photo Works 1969-1994」は、波に沿った彼自身の姿や手が床に触れる直前の瞬間、床にこぼれた水や開け放たれた窓などモノクロ写真が収められています。日常の風景から取り出された1コマ、榎倉康二だからこそ気づけた物質との境界線にある静かな世界、自然にレイアウトされた被写体からは彼が追い求めた理想と自己表現が伝わってくるでしょう。作品は東京国立近代美術館や世田谷美術館を始めとする12ヶ所、イタリアにあるプンタデラドガーナ美術館で所蔵されています。
榎倉康二の現在の評価と価値
高価買取のポイントは榎倉康二らしさとサイズでしょう。どちらも満たす作品は100万円を超える買取金額をご提案できます。
サイズが大きくスペースも必要な作品は、美術館や画廊の展覧会でお楽しみいただけます。綿布にアクリルをにじませた「Figureシリーズ」、紙に木炭や廃油を使った「Drawingシリーズ」は幅広い視点とイメージを融合したアートとして、芸術を愛する中高年を中心に高い評価が得られています。注目度が高いと言えば、毎年東京藝大のアトリエで制作されているカレンダーへ収められた作品でしょう。これまで多くの版画が掲載されていますが、元々限定数しか制作されないため作家が有名になれば希少価値も高くなります。他の作家の作品も同時に掲載されており、榎倉康二の作品のみを取り出し、画装してオークションへ出品している人もいるかもしれません。銅版画の色彩やにじみ具合は、シンプルな形の中にあるデザイン性に惹かれるファンが多いと言われています。
これまで何度も個展が開催されているため、もの派の彼の影響を受けたアーティストも存在しているでしょう。現在は初期の作品にもスポットが当たっています。写真作品は流通量が少ないため、手に入れるのも難しいかもしれません。
今後熱い視線が送られる作家なので、作品のご売却をご検討の際はいつでも気軽にご相談ください。