陶器作家 荒川豊蔵
1894年~1985年 物故作家。
岐阜県土岐群多治見町に生まれる。母方は多治見の陶芸の名人と言われた加藤与左衛門景一の直系である。13歳から地元の陶磁器貿易商の木塚商店で働き、数年後その時に知り合った鈴木勲太郎独自の特殊な絵の具を使った高級コーヒー茶碗のプロデュースをして成功を収める。コーヒー茶碗は当時京都の錦光山宗兵衛に高値で買い取られていた。そしてその頃時錦光山の顧問であった宮永東山と出会い、独立するも上絵磁器事業に失敗し、その後は宮永東山を師匠とし東山窯の工場長として働く。同時に北大路魯山人と知り合い交流を深め、一流の作品と触れ合ううちに徐々に陶芸家として目覚めていった。1944年に金重陶陽の窯を訪問滞在し、備前焼を制作する。1962年にチェコ、プラハで開催された第3回国際現代陶芸展出品し、金賞を受賞する。1965年に紫綬褒章を受章する。1968年に文化勲章を受章する。多治見市名誉市民となる。1984年に大萓に荒川豊蔵資料が館開する。志野と瀬戸黒の無形重要無形文化財保持者として認定された。
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買取ポイント
荒川豊蔵の作風
人間国宝に認定された【志野】と【瀬戸黒】が荒川豊蔵の代表作でしょう。この代表作が生まれたきっかけは豊蔵の探求心ではないでしょうか。ある時、古志野は瀬戸が発祥という通説に疑問を抱き調査を重ね、元々は美濃発祥であると確信しました。そこから作品作りに邁進し、大萱窯で志野、瀬戸黒、黄瀬戸、唐津などの制作を進めました。自信作の志野のぐい呑みと瀬戸黒の茶碗を魯山人に賞賛され、個展でも大成功を収めています。
作品は生活用品の茶碗中心で、豪快で野性味あふれていながら奥深い自然を感じさせる作品で、誰にも真似できない匠の技に達していて昭和を代表する陶芸家と言えるでしょう。
荒川豊蔵の現在の評価と価値
東海地方を中心に全国的に人気がある作家です。没後30年以上経過して現在でもデパートや画廊で特集が組まれているのが何よりの証拠です。買取金額は日本陶芸の全盛期と比べると落ち着いた価格帯となり、数十万円台から100万円以上と様々です。共箱が無い、傷がある、小品(水滴など)は数万円台の可能性もあるため、現状確認が必要となります。荒川豊蔵の作品のご売却をご検討の際は、お気軽にご相談ください。
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