斉白石(さいはくせき)は現代中国美術を代表する画家です。中国の伝統的な絵画である文人画や山水画、花鳥画を描いたのみならず、書法や篆刻(てんこく・印章を作成すること)でも活躍しました。また、文学にも造詣が深く、彼の作品には旺盛な好奇心やユーモラスな作風を垣間見ることができます。
また、幼少期を農村で過ごしたり、画家としてのキャリアの中で中国を5度にかけて巡った経験からも、自然への観察眼や感性が細やかな点も特徴的です。日本での展覧会をきっかけに国際的にも評価され、その後は数々の賞を受賞するなど晩年まで活躍していました。
斉白石の作品の買取価格相場
斉白石の作品の買取相場は数十万から1000万円を超える作品まで様々です。このように高額な査定額になるため、模写・贋作のような作品も数多く出回っています。仮に真贋不詳という扱いになると数千円~数万円のような評価、若しくは取扱いが難しいという査定になります。斉白石作品のモチーフであるエビや山水画、カニやキリギリスが描かれているものだと相場よりも高価格で取引されています。美術関連の雑誌や書籍に掲載されている有名作品になるほど高価格になると考えても良いでしょう。
斉白石の作品を高く買い取ってもらう方法
斉白石作品はアートマーケットで数多く出回っています。そのような中でも高く買い取ってもらえる方法を紹介します。ポイントとなるのは買取専門店の選び方や作品の状態、本物かどうか証明されているか、といった点です。入手直後であれば綺麗な状態で買取依頼できるよう保存環境に気を遣う
高く買い取ってもらううえで大切なのは、作品が綺麗な状態であることです。たとえ模写や版画であったとしても、シミや汚れがある場合とそうでない場合とでは、買取価格が大きく変わります。そのため、作品の入手後は劣悪な環境で保管しないよう、温度と湿度の管理を徹底しましょう。また、物理的なリスクを伴うキズを作らないためにも、保管場所に余計なものを置かないことであったり、作品に触れる際に細心の注意を払うことも大切です。
鑑定書があれば作品と一緒に提出する
また、鑑定書があれば作品とともに提出することも高額買取のポイントとなります。鑑定書とは「美術業界や作家の関係者が設立した公的な鑑定機関が発行した、真筆の証明書」のことを言い、鑑定書を提出することで作品が本物であることを証明できます。本物かどうかが分からなくなると買い取る側も不安に感じてしまいます。鑑定書制度とは専門家のような深い知識が無い方も安心して本物の作品を購入できるようにと作られた制度で、美術市場の停滞を防ぐために存在しています。
実績のある美術品買取の専門店へ買取を依頼する
買取に際して、様々な美術品買取専門店がありますが、専門店の選び方も大切になってきます。長きにわたって営業していたり、買取実績が豊富な専門店であれば信頼をおいても良いでしょう。また、専門店のオフィシャルサイトから店のブログをチェックすることで信頼性がさらに高まります。実際に専門店に足を運び、店員と話しながら信頼をおける店かどうか感覚で判断するのも良いでしょう。獏では国内外の数多くの作品を高額で、適切な価格で買取しています。電話やメールLINEでの査定も可能です。
斉白石の代表作品を紹介
ここでは斉白石の代表作品を4点紹介します。彼が得意とするエビやカニをモチーフとした作品や、花鳥画、山水画など、彼のたゆまぬ努力や、旺盛な好奇心、自然への敬意、ユーモラスな作風を垣間見ることができるはずです。草蟹図
制作年代 | 20世紀 |
所在地 | 北京画院 |
斉白石が得意としたエビやカニをモチーフとした作品のひとつです。群れて重なり合うカニを墨の滲みのみで描ききった作品で、中国伝統の文人画家の作風を継承しているように感じさせられます。農村で生まれた彼は、幼い頃より水面で戯れるカニを見ながら過ごしたようで、生き生きとしたしたカニが描かれています。
松鷹図
制作年代 | 20世紀 |
所在地 | 北京画院 |
この作品で描かれている松と鷹は、高尚な生き物として知られています。とりわけ鷹は中国の英雄の象徴です。激しい筆致で表現されている松の枝に鷹が描かれています。斉白石は花鳥画を習っていた際に師より躍動感を大切にするよう教わったそうで、見事なまでに鷹の獰猛さと松の静けさのコントラストを感じさせられる1枚です。
桃花源図
制作年代 | 1938年 |
所在地 | 北京画院 |
高い山が連なる風景を山水画の形式で描いた作品です。40歳のころに中国を5回巡った経験がある斉白石の自然への感性が表現されています。幽玄な山々や、麓の木々の豊かな色彩から静寂に包まれた荘厳な自然を感じさせる作品です。世界のアートシーンが抽象画へと進むなかで、自然への敬意を示した彼の作品の存在はより一層際立ちます。
借山図
制作年代 | 1910年 |
所在地 | 北京画院 |
この作品は斉白石が中国を巡った際に描かれました。余白を大いに用いた構図は彼の山水画の特徴で、荘厳な自然であることを感じさせる作品となっています。また、「借山」とは、故郷の湖南省に構えた書斎の号にちなんだものとされています。のちに北京へと移住することになりましたが、彼は故郷へどのような思いを馳せていたのか気になる作品です。
斉白石の略歴
斉白石は、20世紀を代表する現代の中国画家です。指物師(さしものし・家具職人のこと)としてのキャリアから始まり、20代後半から本格的に伝統的な中国画を学びました。また、文学などにも造詣が深く、彼の旺盛な好奇心がバリエーション豊富な作品群にも表れているのが特徴です。1877年~:大工見習いから指物師となると卓越した技能で名が知れる
斉白石は、1864年に中国の湖南省湘潭の貧しい農家で生まれました。はじめのうちは指物師(家具に木彫を施す職人)として修行を積み、木工の傍らで表具師出身の蕭伝鑫(薌陔)に師事し肖像画を習いました。また、美人画も描いていたそうです。これらの下積み経験はのちの斉白石の作風に大きな影響を与えており、作品の中に彼の経歴で培った技法が表れています。例えば、「清平福来図」で描かれている老人の姿は木彫りのように丸い体つきをしており、指物師としての経験を垣間見ることができます。
1892年~:本格的に画の勉強を開始し、さまざまな画法を先駆者たちから学ぶ
斉白石が27歳となった1892年には、本格的に画の勉強を開始しました。文人画家の胡自倬からは花鳥画、鳥獣画といった中国の伝統的な写実的技法を学びました。また、詩文を陳作塤から、山水画を譚溥から学んでいます。30歳になると書法や篆刻(印章を作る技術)を独学で習得し、斉白石にとっては中国を起源とした伝統的技法に触れた時期となりました。幅広い分野で活躍の場を広げていった彼の好奇心旺盛な一面がうかがえ、その資質が彼の作品に深みを与えることになったのでしょう。
1904年~:中国全土を7年間で5度もめぐり自然への感性や芸術的な視座を養う
1904年に40歳となった斉白石は、7年間で中国全土を5度巡りました。そこでは国内の名山や大河を堪能することで自然への感性や、芸術的な感性をさらに磨き上げました。また、同時期に彼は名家の真筆(特定の個人が書いた手書きの文字や絵)や銘文(金属や石に刻まれた文字)を堪能する機会に恵まれました。そして斉白石は故郷に戻って読書にふけり、詩書画印の制作に励みました。彼の大作「借山図巻」や「石門二十四景」を完成させたのもこの時期です。
1922年:東京開催の日中共同絵画展に展示され、国際的な評価が高まる
その後、故郷での騒乱事件の発生をきっかけに斉白石は北京に移住しました。北京での彼は売文・売画で生計を立てており、書画などをそっくり書き写すことが主流となっていた当時の北京では冷遇されていました。そのような中で日本への留学経験のあった陳師曽が斉白石を評価し、芸術的な交流を深めつつ、彼を援助していました。そのひとつに1922年に東京で開催された日中共同絵画展への出展があり、それを機に斉白石の国際的評価が高まりました。
1957年:斉白石美術館が北京に開館し、同年に95歳で死去
国際的な評価が高まった後の斉白石は、北京美術専門学校教授、中国美術家協会主席を歴任し、政府より人民芸術家の称号を与えられました。1956年には国際平和賞を受賞し、翌年の1957年には斉白石美術館が北京に開館しました。そして同年に享年95歳でこの世を去りました。斉白石は画家としての活動開始時期が遅かったものの、貪欲な好奇心や時代に流されない独自のスタイルを築き上げたことで、キャリアの後半にて国内外から評価されました。
斉白石の作品の世界観
斉白石の作品は、伝統的な中国画のスタイルを継承している点にあります。実際に彼は山水画や文人画、花鳥画、鳥獣画といった作風を習得していました。また、中国の文学への造詣も深かったり、中国国内を5度巡って自然を堪能するなど、伝統的な中国画を描く素養が大いにありました。各国からさまざまな文化が入ってきた20世紀初頭の動乱の時代に、伝統的な中国画を描いていました。また、指物師、画家、篆刻家、書家といったあらゆる才能が個々の作品で複層的に重なって表現されているのも斉白石作品の特徴です。よく言われているのが篆刻の彫り方と指物師の経験で、篆刻における単入刀法を活かした作品では豪快で力強さを感じさせます。また、同時に彼の絵画作品における構図の見せ方にも影響を与えました。
そして何よりも中国伝統の考え方である「書画同源」が斉白石の作品で垣間見ることができ、書が表す抽象的な表現も見どころです。書画のようなシンプルな作品から複合的な作品まで、あらゆる作品を生み出した点は、彼が現代中国画の巨匠と称される所以でしょう。
斉白石の作品が鑑賞可能な美術館・博物館
斉白石の作品が鑑賞できる美術館や博物館は下記です。
・東京国立博物館 ・京都国立博物館 ・福岡市美術館 ・九州国立博物館 |
これらの美術館にて斉白石の作品が収蔵されていますが、常設展のテーマによっては展示されていない時期もあります。そのため、事前にチェックしてから行くことをおすすめします。また、中国と日本の国交記念など歴史的な重大イベントに関連ある年には、大規模回顧展が開催される可能性もあります。
東京・京都で「中国近代絵画の巨匠 斉白石」の展示会を大々的に開催
2018年には日中平和友好条約締結40周年記念して東京国立博物館と京都国立博物館にて斉白石にフォーカスした展覧会「中国近代絵画の巨匠 斉白石」が開催されました。そこでは中国の北京画院が所蔵する斉白石作品が一挙公開されました。同展覧会では、斉白石が手がけた画題別に、「花木」「鳥獣」「昆虫」「魚蝦」「山水」「人物」「書」「書斎」といったテーマで彼の作品を振り返りました。彼の画業のすべてを一挙に鑑賞でき、彼のたゆまぬ努力や、作品に表出するユーモアを楽しめる展覧会となりました。
東京国立博物館では「白菜群蝦図」や「鉄拐仙人図」(1913年)などの作品が展示されました。京都国立博物館での展示では「中国のかわいい水墨画、北京から京都へ」というキャッチコピー通り、斉白石作品のユーモラスな作風が「かわいい」とコメントが数多く寄せられました。
斉白石に関する豆知識(トリビア)
斉白石は画家として独特のキャリアを積んでいます。20代後半で初めて絵画を学ぶなど、画家としてのキャリアのスタートは遅かったものの、その類い稀な才能から晩年まで功績を残し続けました。そして、その背景には彼のたゆまぬ努力のみならず、早くから彼を評価した者の存在も大きいです。家庭が貧しく体も病弱な恵まれない幼少期を送る
斉白石の幼少期は貧しく、病弱な時代でした。湖南省の貧しい農村で生まれ、7歳で私塾に通うものの家計が貧窮したために継続を断念せざるを得ない状況になり、放牧の手伝いをしながら絵を独学で学んでいました。また、病弱なために農村の仕事を手伝うことさえできず、12歳で大工見習いとなりました。斉白石の作品からも感じることができる優しさやユーモアは、幼少期の環境も影響しているのかもしれません。その一方で彼の篆刻作品には力強さが表れており、表現力の奥行きや幅広さを感じさせられます。
人民画家の称号や国際平和賞を授与されるなど晩年まで功績を残し続けた
故郷の騒乱事件を受けて北京に移住し、売文・売画で生計を立てていた斉白石は、初めのうちは保守的な北京で冷遇されていました。しかし、日本への留学経験のあった陳師曽が彼に目をつけ、1922年に東京で開催された日中共同絵画展へ作品を出展させたところ、国際的な評価が高まりました。それをきっかけに斉白石の国内での評価が高まり、北京美術専門学校教授、中国美術家協会主席を歴任するほか、人民画家の称号や国際平和賞が与えられました。また、北京画院という、中国で最も古い大規模な美術アカデミーの初代名誉院長に就任し、晩年まで功績を残し続けました。
日本の外交官である須磨弥吉郎が中国駐在時代に白石の後援者となる
須磨弥吉郎は戦前の日本の外交官であり、政治家でした。諜報戦のパイオニア的存在で、1920年代には中国に駐在していました。駐在中に斉白石作品に魅せられ、戦後は「須磨コレクション」として彼の作品が収集されました。第二次世界大戦中の須磨はスペインに駐在しており、そこでも当時現地で活躍していた画家たちの作品に触れました。戦後彼はA級戦犯として名を連ねたものの、釈放されました。「須磨コレクション」にある中国やスペインの美術作品は、死後遺族からの寄贈により京都国立博物館に収蔵されています。
斉白石の作品は獏にて強化買取中
近代中国画の巨匠である斉白石の作品は、伝統的な文人画の世界に近代的な形象を取り入れていることが特徴です。彼の作品への評価は近年高まりつつあります。当店では現在斉白石作品の買取を強化しています。アート作品は価値の判断が難しいため、スタッフが念入りに査定いたします。また、絵画だけでなく、骨董や茶道具など幅広く買取いたします。買取の流れや買取実績、ご不明点などございましたらお気軽にお問い合わせください。