陶器作家 小山冨士夫
1900年~1975年 故物作家。
岡山県に生まれ。19歳で東京府立第一中学校を卒業、その後一ツ橋大学に入学するも中退し自分の求めているものを探す日々を送る。1923年、25歳の時に近衛歩兵隊の同期である岡部長世(岸和田藩主の子孫で国立近代館長・岡部長景子爵の弟)がおり、その影響で陶芸に興味を持つ。1930年には東洋陶器研究所に入所する。1941年に太平洋戦争の始まるさなか中国の古窯発見などの成果を上げ、戦後は文化財保護委員会の調査官として活躍する。しかし1961年永仁の壺事件で贋作を文化財に推薦した責任をとり辞職する。その後は研究者として多くの著書を発表しつつ、世界の遺跡調査や講演を行い素晴らしい功績を残す。1973年には岐阜県土岐市泉町に「花の木窯」を開き、陶芸家としても作品を残した。
買取ポイント
小山冨士夫の作風
陶芸家であると同時に陶磁器研究者でもあり、中国陶磁研究の大家でした。関東大震災で労働先から帰京する途中、困窮老人に給与を全額渡すなどキリスト教のもと育った博愛精神と寛大さに満ちた人物としての逸話があり、人間的にも優れていたと想像できます。また、平安時代末期~安土桃山時代を代表する6ヶ所の窯 (瀬戸・常滑・越前・信楽・丹波・備前)を「六古窯」と命名した事でも有名で、日本の陶芸界の重鎮といっても過言ではありません。
作家としては特定の産地に限定した作品ではなく、唐津、備前等、様々な作品を残しました。
小山冨士夫の現在の評価と価値
没後40年以上経過した現在でも需要がある作家のひとりです。研究者としての顔が強いかもしれませんが、作家として数多くの作品を残しました。上記で述べたように特定の技法で制作せず、備前や唐津など柔軟な姿勢で作品を後世に残しました。
買取金額は数万円から10万円以上と様々です。具体的な金額は作品の種類(茶碗、花入等)やサイズにより異なるため、小山冨士夫の作品のご売却をご検討の際は、お気軽にご相談ください。