現在は17代と18代が活動しています。18代は2021年3月に襲名したばかりで2023年5月には襲名記念展覧会が開催されました。彼は需要が無くなっている土風炉の再興を目標としていて、土風炉の技術を応用した茶道具の制作を試みています。
永楽善五郎の作品の買取価格相場
ここでは永楽善五郎の作品の買取価格相場を紹介します。主に「織部写瓢振出」「交趾羽衣 皿」「仁清写 なでし古 平茶碗」「仁清写 茶碗」がどのくらいの価格でマーケットで出回っているかを解説します。織部写瓢振出
「織部写瓢振出」は、16代永楽善五郎の作品です。永楽善五郎の作品としては珍しく織部写の作品となっています。織部とは茶の湯と共に花開いた美濃の窯で焼かれた陶器で、銅緑釉 (銅により緑色に発色する釉薬)を施した陶器が特徴です。また、織部をリスペクトして制作された作品を織部写といいます。この作品は振出と呼ばれる茶道具のことで、金平糖や砂糖豆を入れる小皿を指します。なお、この作品は35,000円での買取実績があります。
交趾羽衣 皿
「交趾羽衣 皿」は、16代永楽善五郎の作品です。中国の明後期に作られていた交趾焼であることが特徴で、交趾焼独特の鮮やかな色彩が目立つ作品となっています。皿の中央には羽衣が描かれています。なお「羽衣」とは茶道の銘で、天女が着る衣をいいます。茶道の銘にちなんだ挿絵が描かれたこの作品は、まさしく茶道具を制作し続けてきた永楽善五郎の作風が如実に表れています。日本文化を感じさせるこの作品は、手頃な価格である15,000円での買取実績があります。
仁清写 なでし古 平茶碗
「仁清写 なでし古 平茶碗」に描かれている文様は、撫子の花と波です。細やかなボカシや波の線のくねりなど、至るところに技量の妙を感じさせる作品となっています。また「仁清」とは京焼の大成者である野々村仁清で、彼は京焼のなかでも色絵の技法を完成させた人物です。仁清への敬意が込められたこの作品は鮮やかな色彩と、たくみな筆遣いが特徴となっています。なお、この作品の買取価格相場は20,000円~30,000円程度となっています。
仁清写 茶碗
「仁清写 茶碗」は、永楽善五郎の茶道具作品の特徴をつかんだ作品といえるでしょう。永楽善五郎作品は、お茶にかなった美しい作品として有名で、その種類は交趾焼や金襴手、仁清写など華やかなものが多いです。うつわはシンプルな形でありながらも、華やかさや品格を失うことのない作品となっています。この作品の買取価格の相場は30,000円程度で、永楽善五郎作品は茶道具の中でも人気の作品で高く買い取ってもらえる傾向にあります。
永楽善五郎の作品を高価格で買い取ってもらう方法
ここでは、永楽善五郎の作品を高価格で買い取ってもらう方法についてお伝えします。ポイントとしては新品同様のきれいな状態を保てるよう保存環境に気をつけることや、実績のある専門店に買取を依頼することです。作品の保存状態を保ちつつ買取を行ってもらう
作品を高価格で買い取ってもらうためには、作品がきれいな状態であることが大切です。そのためには保存環境に気をつけなくてはならず、永楽善五郎の作品では、高い場所を避けること、湿度管理を徹底すること、そして直射日光を避けることがマストです。また、作品ごとに丁寧に梱包したり、こまめに作品の状態を確認することも保存するうえで大切なことといえるでしょう。きれいな状態の作品であるほど高く買い取ってもらいやすくなります。実績の美術品買取の専門店に買取を依頼する
作品を高価格で買い取ってもらうためには、実績の高い専門店に買取を依頼することも大切です。さまざまな専門店があるなかで信頼性の高い専門店を見つけるのは難しいですが、買取の実績やGoogleの口コミを参考にすると良いでしょう。また、気になる専門店には自ら足を運んで、スタッフと会話をしたり、店の雰囲気やお客様への対応を見ながら「ここなら信頼できるな」という直感で選ぶのも大切です。獏では多くの作品の査定実績があります。買取に迷われている方はぜひ一度当店もご検討ください。
永楽善五郎の有名作品を紹介
ここでは、永楽善五郎の有名作品「仁清写 茶碗」「刷毛目茶碗」、そして「土風炉仕立て灰器」を紹介します。千家十職として代々茶道具を制作してきただけあり、磨き上げられたものづくりのセンスを作品から実感できるでしょう。仁清写 茶碗
「仁清写 茶碗」とは、野々村仁清が作った物を真似した茶碗という意味です。野々村仁清はこれまで唐物や高麗物の模倣がスタンダードだった茶碗制作をアップデートした人物です。彼が活躍したのは1600年代と、初代永楽善五郎の頃とやや被ります。永楽善五郎として制作を始めた時期のトレンドが作品に反映されている、茶道具の歴史を感じさせる優品です。刷毛目茶碗
この作品を制作したのは16代永楽善五郎です。16代の作品としては珍しい刷毛目の作品となっており、高台脇に「永楽」の丸印が捺されています。刷毛目独特の荒さを感じる手触りや、エネルギーのほとばしりを感じさせられる作品となっています。土風炉仕立て灰器
この作品は現在活動する18代永楽善五郎によるものです。素焼きの土器を磨き上げて作られるのが土風炉ですが、明治以降需要が減り制作される作品の数も少ない状況です。そのようななかで、18代永楽善五郎は土風炉の技術を活かした茶道具の制作に注力しています。永楽善五郎とは|代表的な功績を紹介
ここでは永楽善五郎の代表的な功績を紹介します。永楽善五郎千家十職の一つである土風炉・焼物師で、代々土風炉や茶碗を制作しており、平成4年には京都府文化賞特別功労賞を受賞したほか、伝統陶芸の発展に寄与しています。室町時代末期から千家十職の土風炉師を勤める
永楽善五郎は、千家十職の10の職家のひとつです。千家十職とは、千利休として知られる千家の流れを汲む茶の湯の道具を代々に渡って制作する人たちのことをいいます。その中でも永楽家は京焼の家元の一つであると同時に室町時代末期から土風炉の家として歴史があります。茶の湯が大成した千利休の時代より、およそ600年もの長きにわたって伝統技術を磨き上げ続けています。その作品ひとつひとつからも歴史を感じさせられます。
平成四年には京都府文化賞特別功労賞を受賞
永楽善五郎は平成4年に京都府文化賞特別功労賞を受賞しています。京都府文化賞特別功労賞とは、京都府における文化の振興と発展を図るために設けられた賞で、とりわけ特別功労賞では文化芸術活動において顕著な業績をあげた者に贈られます。そのようななかで、永楽善五郎は1600年代頃より千家十職の一家として活動しており、京焼の代表的な窯元と言えるべき存在です。数多くの作品を残した伝統ある一家であり、京都の長い歴史の中でも重要な役割を果たしてきたと言えるでしょう。
京都伝陶芸教会を結成し会長に就任するなど、伝統陶芸の発展に寄与している
16代永楽善五郎は、戦前から戦後にかけて活動しました。そのような中で京都伝統陶芸協会を結成して会長に就任し、伝統陶芸の発展に寄与しています。また、彼は千家十職による千松会や十備会にも作品を出品していました。その後17代は日本工芸会正会員であったり、18代は伝統的な技法である土風炉の技術を後世に残すために積極的に新たな作品制作に励んでいます。一家が長きにわたり培ってきた技術だけでなく、日本の伝統陶芸全般の発展に努めています。
歴代で永楽善五郎を名乗った人物を一挙紹介
ここではこれまでに永楽善五郎を名乗った人物を一挙紹介します。初代永楽善五郎は室町時代に活躍し、当初は奈良県の春日大社の供御器を制作していました。それから時が経ち、現在は17代と18代のふたりが活躍しています。第1代目~第9代目
初代永楽善五郎(?-1558年)は、室町時代に活躍し、当初は奈良県の春日大社の供御器を制作していました。晩年には堺の武野紹鴎の依頼で土風炉を作るようになり、土風炉師・善五郎と名乗るようになりました。2代善五郎も引き続き堺にて活動していました。その後3代善五郎(?-1623年)より、京都に住まいを移します。小堀遠州の用命を受けた頃より「宗全」の名前を受け、九代までその印で作品を残しています。そして10代善五郎(1770年-1841年)の頃より千家の出入りが始まり、永楽家の代表的な作品となる茶道具の制作を始めます。
第10代目~第15代目
10代善五郎(1770年-1841年)は、天明の大火により全焼した一家を立て直して工房を復活させました。そのほかには永楽家の屈指の名工である保全を養子として迎えるなど、優れた目利きでもありました。また、千利休の一家である千家にも出入りし始めたのは10代の頃と言われています。彼が残した功績は大きいと言えるでしょう。11代(1795年-1855年)は養子として迎えられた保全のことで、青木木米、仁阿弥道八とともに、幕末の京焼の名工の一人と言われています。その後明治時代では、14代(1852年-1909年)が三井家、鴻池家の庇護を受けていました。なお、彼の妻も妙全と名乗り活躍しており、女性らしい優美な作品を残しています。
第16代目
16代(1917年-1998年)は、1935年の15代急逝後、18歳の若さで善五郎の名を受け継ぎました。彼の代表的な活動としては、京都伝統陶芸協会を結成し、初代会長として就任しました。また、千家十職による千松会や十備会にも作品を出品するなど、京都の伝統陶芸の発展に寄与しています。源氏物語五四帖にちなんだ連作を残すなど、伝統的な作品を残しつつも現代的なアプローチで茶道の歴史を広めた人物のひとりです。
第17代目
17代(1944年-)は、茶道具の世界を世に知らしめた父親・16代を幼少期から見てきたこともあり、非常に研究熱心で東京藝術大学や東京芸大大学院工芸科などで技術を磨いてきました。16代と同様に千家十職の発展に努めている人物です。1998年に17代を襲名し、2009年には京都市文化功労者として表彰されました。ドイツやフランスといった国外でも展覧会を開催し、茶道具の魅力を海外にも伝えています。また、日本各地でも個展を開催しています。
第18代目
18代(1972年-)は、2021年3月に襲名したばかりの人物です。2023年5月には日本橋三越本店にて襲名記念展覧会が開催されたばかりです。彼の目標は土風炉を再興することだとインタビューで答えています。また、明治以降作品数が少なくなっている土風炉の技術を茶道具に活かした作品を制作しています。16代は国内で茶道の歴史と文化を広め、17代は海外でも活躍しています。そのような姿を見てきた18代はどのような活動をするのか、これからの彼の活躍に期待したいです。
永楽善五郎の世界観
永楽善五郎は、代々主に土風炉を制作していました。土風炉とは素焼きの陶器の上に黒漆で塗り固めた風炉のことで、この技術が茶道具などの作品にも活かされています。10代以降は千家との関わりが深くなったために、土風炉の他にも交趾焼、瀬戸焼などの茶陶も本格的に手掛けるようになりました。また、代々技術の磨き上げに注力しており、これまでの永楽善五郎の長きにわたる歴史の中で染付・金襴手・交趾写し・青磁などの中国・朝鮮・安南の古作写しなど、あらゆる陶技を身につけています。それゆえ幅広くバラエティに溢れた作品を制作しています。
そして、近年では土風炉の技法を用いた茶道具の制作など、伝統を守りながらも現代的なアプローチで茶道の新たな裾野を広げています。そのような努力が永楽善五郎の海外での知名度が高まっている背景にあるといえます。
永楽善五郎に関するトリビア(豆知識)
ここでは永楽善五郎に関するトリビアを紹介します。永楽家は室町時代より土風炉師として活動していました。初代は奈良にて春日大社の供御器を制作しており、茶道具の制作はだいぶ後になります。時は経ち10代の時代になると千家への出入りが始まり、その頃より茶道具の制作が始まったと言われています。現在は土風炉の需要が少なくなったために作品数がかなり減っています。そのような中で18代は土風炉の技術を活かした茶道具の制作に挑戦しています。
永楽家の始まりは室町時代末期
永楽家の始まりは室町時代末期でした。初代永楽善五郎は奈良に住み、春日大社の供御器を作っていました。その後3代以降は京都に住まいを移します。10代の頃より茶の湯で知られる千家に出入りし始めたと言われており、茶道具の制作が始まりました。室町時代の末期から活躍している永楽家は、初代から始まり現在は18代が活躍しています。現在もなお永楽家のメイン作品となっている茶道具にとどまらず様々な陶磁器を制作しています。
永楽家は初代は土風炉師であり、陶磁器を作り始めたのは10代以降である
茶道具で知られる永楽家ですが、初代は土風炉師でした。土風炉とは土を焼いて作った風炉のことで、素焼きの器に黒漆を重ね塗りしていたり、土器の表面を磨いたものが永楽家の土風炉の特徴です。なお、陶磁器を作り始めたのは10代以降で、この時期より千家に出入りを始めたと言われています。また、現在活動している18代は、明治時代以降土風炉の需要が減っていることを背景に土風炉の技術を活かした茶道具の制作を試みています。
永楽善五郎の作品の買取価格は獏へご相談ください
永楽善五郎は室町時代から活躍する千家十職の一つで、茶道具を中心に制作していました。戦中から戦後では茶道の歴史や文化を後世に残すために協会を立ち上げるなど、伝統陶芸文化の発展に寄与しています。近年では海外でも展覧会が開催中です。また、初代から9代までは土風炉を中心に制作しており、現在は18代が明治時代以降需要がなくなりつつある土風炉の再興に努めています。当店では現在永楽善五郎作品の買取を強化中です。アート作品は価値の判断が難しいため、スタッフが念入りに査定いたします。また、茶道具だけでなく、陶芸作品や絵画など幅広く買取いたします。買取の流れや買取実績、ご不明点などございましたらお気軽にお問い合わせください。