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ギヤマンとは?歴史あるガラス工芸品とその魅力

ガラス製品を表す際に、「ギヤマン」「びいどろ」という言葉が用いられることがあります。特に「ギヤマン」はあまり聞き馴染みのない言葉だという人も多いかもしれません。
今回は、そんなガラスの歴史を語る上で避けては通れない「ギヤマン」と「びいどろ」について、歴史とともに解説していきます。

ギヤマンとびいどろに違いはあるのか?

「ギヤマン」と「びいどろ」は、どちらもガラス製品を指す言葉です。使い分けられることもありますが、同じような意味で使われることもあるという定義があいまいな言葉のようです。しばしば混同されることもあったという「ギヤマン」と「びいどろ」。
その違いについて探っていきましょう。


「ギヤマン」とは?

ギヤマンとは、もともと江戸時代にダイヤモンドを称して使用していた言葉です。そして、ガラスの細工にダイヤモンドを用いていたことから、ガラス製品全般を指す言葉になっていったようです。
ギヤマンというこの聞き慣れない言葉の語源は、オランダ語diamantの訛りとも、ポルトガル語diamanteの訛りともいわれていますが、どちらもダイヤモンドを意味する言葉。
主に、江戸時代にオランダとの交易によりもたらされたカットガラスがギヤマンといわれています。
後に言及しますが、日本でもカットガラスが作られ始め「江戸切子」や「薩摩切子」へと発展していきます。これらの日本の切子もギヤマンと呼ばれるようになっていきました。


「びいどろ」とは?

びいどろとは、ポルトガル語でガラスを意味するvidro(ヴィドロ)が語源です。
江戸時代から明治時代前期に作られた日本製のガラス、つまり和ガラスの総称です。原料としては、透明度の高い鉛ガラスを用いたものがびいどろと呼ばれ、中でも吹きガラスを指す言葉とされています。
吹きガラスで有名なのが青森県の「津軽びいどろ」や佐賀県の「備前びーどろ」。吹き竿という道具を用いて成形する宙吹きという製造方法で作られており、これは高い技術を必要とする伝統的な技法です。型がないことで生まれる自由でしなやかな形が特徴。
特に津軽びいどろは、色ガラスにより模様が付けられることも大きな特徴で、繊細で美しい色彩が魅力です。

日本のガラスの歴史

今では当たり前に使われているガラスのグラスや食器。私たちが普段使っているガラス以外にも、日本には美しい伝統工芸品といわれるガラス細工が多数存在しています。では、日本におけるガラスは一体どこから始まっているのでしょうか。
実はとても古いガラスの歴史について、ひもといていきましょう。


縄文時代に始まるガラスの歴史

ガラスの歴史はさかのぼること縄文時代。縄文後期の三内丸山遺跡や亀ヶ岡遺跡からガラス玉が発見され、ガラスの歴史は弥生時代から始まるという通念を覆しました。ただ、このガラス玉が日本で作られたものであったかどうかは不明とのこと。
弥生時代や古墳時代になると、海外から持ち込まれたガラス製品を素材とした加工品として、ガラス玉が作られていたとみられています。
国内でガラスそのものが作られていたことがわかっているのは7世紀後半。飛鳥時代の遺跡からは、ガラス玉とともにガラスの原料を溶かすための「るつぼ」が発見されています。
奈良時代には、お寺や仏像の装飾としてガラス玉が数多く使われていたようです。
春日大社にある瑠璃灯篭は、平安時代に作られたガラスとして有名な逸品。
しかし磁器の技術の発展の影響でしょうか、鎌倉時代になるとガラスの歴史はいったん途絶えてしまうのです。


ガラス製品の普及

再び日本の歴史にガラスが登場してくるのは戦国時代のこと。ポルトガル、スペインとの南蛮貿易がきっかけでした。そしてオランダとの交易が始まると、ガラス製品が普及し始めます。当時は主に、位の高い人への贈り物として普及していたようです。ヨーロッパから輸入された美しいカットグラスは「ギヤマン」と呼ばれ珍重されました。
そこから長い時間はかかったものの、日本でもガラス工芸品が作られるようになっていきます。海外との貿易で繁栄した長崎はガラス製品伝来の地であり、ガラス製造の先駆けとなりました。しかし製法に関しては、西欧ではなく中国の影響を受けているのが興味深いところ。その後、ガラス製造は大阪、京都、江戸、薩摩と日本各地へ広がっていきます。
こうして少しずつ技術を学び、磨き、改良を重ねることにより、後に美しいガラス製品が生み出されていくのです。


切子ガラスが日本で作られる

前述のとおり、日本で国産ガラスが最初に作られたのは長崎においてでした。そのガラスを江戸に広め、江戸切子の創始者といわれているのが加賀屋久兵衛という人物。彼は眼鏡やギヤマンの製造販売業をしていましたが、大阪でガラスの製法を学び、江戸に戻り切子ガラスの技法を開発し普及させました。1834年に金剛砂を用いてガラスに彫刻を施したのがその始まりだとか。
また江戸にガラスを広めたもう一人の立役者が上総屋留三郎という人物。彼は浅草で風鈴やかんざしなどを制作、販売していたガラス職人です。当時のガラスは、庶民でもがんばれば手の届くおしゃれアイテムだったのでしょう。
ここからギヤマンという呼び名よりも、「江戸切子」やその後薩摩へ普及し誕生する「薩摩切子」などの名称が一般的となっていきます。

日本のガラス細工

日本のガラス細工の代表的な技法の一つが切子です。
繊細で華やかなカットにより生み出される文様はまさに芸術品。ガラスと光により放たれる美しい輝きは格別です。
世界中の人々に愛され、多くのファンを持つ日本の切子。その代表的な「江戸切子」「薩摩切子」についてもう少し詳しくみていきましょう。


江戸切子

加賀屋久兵衛によって作られた江戸切子。
江戸切子の特徴は、なんといっても独特なカットで施されるシャープで美しい文様でしょう。代表的なデザインは、キラキラと魚の鱗のように見える魚子(ななこ)と呼ばれる文様、そして矢来、菊、麻などの着物に見られる文様が多いのも特徴の一つです。
当初は無色透明な鉛ガラスに切子細工を施していたようですが、現在では色被せガラスが主流となっています。
江戸切子は東京都の伝統工芸品、および国の伝統的工芸品に指定されています。


薩摩切子

幕末に島津斉彬により集成館事業の一環として進められ、生まれたのが「薩摩切子」です。
透明なガラスに色ガラスを被せ、色ガラスの部分にカットを施すことで生まれるグラデーションが最大の特徴であり魅力です。この「ぼかし」ともいわれるグラデーションの美しさのポイントは厚み。色ガラスを手作業で被せていくことにより厚みを帯びるガラスの層、ここに切り込むことで切子面にグラデーションが生まれるのです。
一度は途絶えてしまった薩摩切子ですが、現在は復刻しまだまだ進化を遂げ、人々を魅了し続けています。

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まとめ

ここまで、ギヤマンやびいどろ、ガラスの歴史について解説してきましたがいかがでしたか?
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