ザオ・ウーキー(趙無極)の版画の買取価格とポイント
1921年~2013年 物故作家。
中国・北京生まれ。1935から杭州の国立美術学校で学ぶ。1948年にパリへ移住する。グランド・ショミエール・アカデミーに通う。1949年にパリ・クルーズ画廊で初個展を開催する。詩人アンリ・ミショーに認められ、戦後のパリ画壇に確固たる地盤を作る。1950年にピエール・ルーブ画廊と契約する。1957年に初来日。1964年にフランス国籍を取得する。1983年に北京・国立美術館で個展を開催する。1993年にレジョン・ドヌール・コマンドゥール章を受章する。1994年に高松宮殿下記念世界文化賞・絵画部門で受賞する。2013年4月9日、スイス・ニヨンの自宅にて逝去する。
2023年にアーティゾン美術館で「ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ」が開催された。
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ザオ・ウーキーについて
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ザオ・ウーキー(趙無極)の最新買取情報
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Beauregard(エッチング)
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コンポジション(エッチング・アクアチント)
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Untitled(リトグラフ)
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PETITE JARDIN(リトグラフ)
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ザオ・ウーキー(趙無極)の買取ポイント
ザオ・ウーキーの作風
人生の多くの時間をパリで過ごし、同時代に活躍した作家の中でも東洋的な角度から表現し、ヨーロッパのみならず世界的に確固たる地位を築き上げました。第二次世界大戦後に勢いがあったアンフォルメルや抽象表現主義など、欧米における前衛芸術の展開をふまえ、東洋の伝統を色濃く感じさせ抽象絵画が特徴的です。中国で生まれ、幼少期を過ごしたからこそ到達した境地ではないでしょうか。パリで初個展を開いた際は、『中国のボナール』とも評され、統一感がある色合いで構成された抽象作品は幅広いエリアで評価されました。
ザオ・ウーキーの現在の評価と価値
2018年9月に『1985年6月-10月』とう作品が、サザビーズ香港で6520万ドル(約72億円)という金額で落札されました。アジア人アーティストによる油彩画としては過去最高額です。日本人の最高位が奈良美智『ナイフ・ビハインド・バック』の2490万ドルのため、非常に評価されている作家なのは一目瞭然でしょう。
しかしながら、国内で流通する多くは版画作品のため、版画に限定して買取金額を紹介させていただきます。現在の市場動向を考慮すると数十万円台での買取がボリュームゾーンで、シリーズ作品の一部は100万円を超えていきます。亡くなって間もない作家のため、今後相場が変動する可能性もあります。問い合わせ時点での市場評価をもとに買取金額をご提案させていただきます。お気軽にご相談ください。
ザオ・ウーキーの代表作品
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作品(エッチング)
(1986年)
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コンポジション(エッチング)
(1976年)
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鹿内信隆にささげる(リトグラフ)
(1991年)