青木龍山の陶器の買取価格とポイント
1926年~2008年 物故作家。
佐賀県西松浦郡有田町で生まれる。
佐賀県立有田工業学校を卒業後、1951年多摩美術大学日本画科卒業と同時に神奈川県法政大学第二高等学校および法政大学女子高等学校の美術教師となり、以後2年間勤務するが、父に呼び戻されて、祖父の興した会社に入る。
青木家は16世紀後半より、外尾山窯および廟祖谷窯で代々窯元として生業を成してきたが、1899年祖父・甚一郎によって、貿易を主とした内外向け陶磁器製造販売を広く手掛ける青木兄弟商会へと発展する。父の代に有田陶業と改名するも、後に倒産。
そこで龍山はフリーの陶磁器デザイナーとして生計を立てながら日展入選を目指し、個人作家として生きる道を決意する。1954年の第十回日展に「花紋染付大皿」で初出展初入選を果たし、以降順調に入選を重ねる。
生涯弟子をとらずに妻・綾子(2007年死去)と共に二人三脚で天目を焼き続け、焼き物の里、佐賀で初めての文化勲章受章者となる。2008年肝臓がんにより死去。陶芸家の青木清高は長男。
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陶器買取のポイント
青木龍山の作風について
青木龍山といえば、【天目】で制作した陶磁器作品ではないでしょうか。<天目の龍山>と呼ばれ、色絵磁器は白いという常識を覆し、黒を基調とした作品で新しい陶芸の世界を切り拓きました。
染め付けや色絵の町・有田にあって、一貫して広口の陶器の張りのある豊かなフォルムを追及しつづけ、漆黒の天目釉に鉄砂、銀砂、青、翠などで条線模様を施したモダンなデザインで、花器を中心に新境地を展開しました。
青木龍山の現在の評価と価値
没後10年以上した現在も相場がある作家のひとりです。絵画の世界と比べて相場が保たれている方は非常に少ないため、非常に人気がある作家とも言えます。青木龍山の最も評価が高いのは【天目】です。光に充てると輝く文様により評価が決まり、天目地に花などの色絵が描かれている作品も人気が高いです。一方、天目以外で制作された作品は評価しにくいのが現状です。買取時は作品の珍しさより、その作家を連想するような代表的なモノの方が需要は高いです。
青木龍山の買取金額は数万円台から10万円以上と様々です。最終的には現物を拝見する必要があるため、お気軽にご相談ください。
買取の注意点は?
共箱が無いと買取価格が著しく下がることもあります。共箱とは作品を入れる木箱にサインと題名が書かれたものです。骨董と呼ばれるような古い作品には必要ないケースもありますが、近代の陶磁器では作品の一部とみなします。また、ワレや欠けなどのダメージがあると著しく評価が下がります。絵画作品と異なり修復したからといって、価値が戻る事はありません。侘び寂の世界では、金継ぎで修復する事は良いとされていますが、買取ではマイナス評価となります。
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