透明度の高いガラスに繊細なカットを施した切子。
切子といえば、カットガラスで有名なものは「江戸切子」と「薩摩切子」の2つをイメージする人が多いのではないでしょうか。
薩摩切子は、鹿児島県指定の伝統的工芸品で、歴史的価値や骨とう品として高い価値のものもあります。
ここでは、薩摩切子について解説していきます。
薩摩切子が作られていたのは、江戸時代末期から明治初期までで製造、生産が終了したため「幻の切子」と呼ばれていました。
それから薩摩切子の製造は100年以上の期間、途絶えていました。しかし、1980年代にさまざまな努力により復活。
現在、鹿児島県で薩摩切子は復活製造が行われています。
薩摩切子は、どのようないきさつで生まれたのか歴史とともに解説します。
そのために江戸から硝子師(びーどろし)である四本亀次郎を招いて、製造し始めたのがはじまりです。
1851年に薩摩藩11代藩主の島津斉彬が、外国との交易品や諸大名への贈り物として開発され、芸術的なものとして発展していくこととなりました。
その中でも紅色の薩摩切子は、「薩摩の紅ガラス」とよばれ薩摩切子を代表する色となりました。
このガラスの製造は、切子という技法と共に急速に進化・発展していきました。
そのような中、1858年に島津斉彬が49歳という若さで突然亡くなります。
島津斉彬の死を機に、薩摩切子の事業は縮小され、1863年の薩英戦争や明治維新、1877年の西南戦争によってガラス工場も消失しました。
薩摩切子は、この出来事で急速に衰退へとたどっていき、薩摩切子の製造や技術もここで途絶えてしまいました。
そのことから薩摩切子は、「幻の切子」といわれています。
島津家に残されていた薩摩切子の関連資料や残された写真、集成館に収蔵されている薩摩切子を実測することにより復元に取り組みました。
1985年、「薩摩ガラス工芸株式会社」が鹿児島県の協力のもと設立。
紅色の発色にも成功し、薩摩切子が現代に復活することになりました。
復刻した薩摩切子は、1989年、鹿児島県の伝統工芸品に認定されることとなりました。
薩摩切子は、重ねられた色ガラスのグラデーションとカット技術によって生み出された芸術品です。
薩摩切子は、どのような部分が特徴なのかを解説していきます。
薩摩切子は、被せた色ガラスに厚みがありますが、色調が淡いため、色の濃いところからだんだんと色彩が薄くなっていく「ぼかし」とよばれる技法を使っています。
このぼかしの技法を使ったグラデーションの美しさが薩摩切子の特徴となっています。
紅、島津紫・藍・緑・黄・金赤のあわせて6色があり、さらに2色を重ねて色を出す「二色合わせ」が加わり、さまざまな色彩が展開されています。
その中でも紅色は、日本で初めて開発に成功した色です。
この色を発色させるのは現代でもとても難しい技術となっています。
紅色で製造された薩摩切子は、「薩摩の紅ガラス」として一躍有名になりました。
様々な文様があり、例えば、八角籠目紋はという文様は、複合文と呼ばれ薩摩切子は複合文を用いるのが特徴です。籠目文は魔よけの効果や幸運を籠むという思いが込められた縁起がいい文様です。
江戸切子は、町人である商人が作り始めたものが、伝統が現代まで受け継がれてきたもの。それに対して、薩摩切子は、薩摩藩が推奨・保護し、産業として発展させたものとなっています。
どちらの切子も始まりは江戸時代までさかのぼります。
そのため、薩摩藩が大資本を薩摩切子に投じ、独特の技術や特色を生むこととなりました。
町民文化から生まれたもので庶民が日常的に使うものとしてつくられたものが江戸切子です。
江戸切子は、規模の小さい商人の硝子屋が日用品として作っており、薩摩切子のように厚く色被せした素材を作るといことは規模の面でもでも資金の面でも困難なことでした。
薩摩切子は、色を厚く被せていくためガラス部分が厚くなります。
この厚みによって生まれるグラデーションが「ぼかし」という有名な技術で、色合いが全体的に淡いのが特徴です。
また、文様の構成にも違いがあります。
薩摩切子では複数の文様を組み合わせた豪華なデザインのものが多く見られるのに対し、江戸切子はすっきりとした単文様のデザインのものが好まれている。
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・耐熱ガラスでないため急冷急熱に弱いものになっています。直接、薩摩切子に熱湯を注いだり、大量に氷を入れるようなことは避けるようにしましょう。電子レンジも使用できません。
・口縁の部分が薄く作られています。乾杯の際などはグラスの縁をぶつけないように注意しましょう。
【洗い方】
・食洗機、乾燥機の使用は避けましょう。スポンジか柔らかい布に食器用洗剤をつけて丁寧に洗いましょう。カットされている面は時々柔らかいブラシで洗ってください。
・水垢などで表面が曇ってきたときは、台所用漂白剤を水に溶かし、数時間つけておくことで綺麗になります。
【保管方法】
・収納する際は、ガラスどおしを当てないように気をつけましょう。
・重ねて保管する際には、器の間に紙や布を挟んで保管するようにすると良いです。
試行錯誤を繰り返した結果、薩摩切子を復活させることができ、薩摩切子は世間にふたたび広く知られるようになりました。
さらに、忠実に昔のものを再現しただけでなく、新しい薩摩切子も製造されはじめています。
薩摩切子の骨董品としての価値や現代の職人技術の進化について解説していきます。
そのひとつが、2001年に商品化された「二色被せ(にしょくぎせ)」。透明ガラスの上に選りすぐられた異なる2色の色ガラスを重ねることで3層にします。
もともと色ガラスと透明ガラスのグラデーションが特徴の薩摩切子ですが、二色被せは、今までにない「色彩のグラデーション」が表現できます。
このように、さらに発展、進化していく新しい薩摩切子はこれからも注目です。
薩摩切子の伝統は、一度途絶えてしまったため、当時のものであれば希少性があります。
江戸末期から明治初期にかけてのものは、現存するものは大変少なく、わずか200点ほどが現存しているようです。
そのため、貴重なもので現在かなりの高額で取引されています。
薩摩切子には、さまざまな種類があります。
薩摩切子には価値があるのはわかっているが、いったいどれほどの価値があるのかというのは、素人目には価値の判断をつけることができないことが多いです。
そんなときは、豊富な知識を持った専門業者にお任せするのが良いと思います。
薩摩切子は、江戸時代末期に誕生してわずか20年あまりで製造されなくなってしまいました。
現代に復活するまで約100年以上、製造されてこなかった薩摩切子。それだけに江戸時代末期から明治初期の間に製造された薩摩切子はとても価値の高いものです。
薩摩切子の価値は、骨董品として特別な知識が求められるため、高額になりやすい薩摩切子は専門業者でないとその価値を見抜くことができません。
価値がある薩摩切子をそのままにしてしまう前に、獏にぜひともご相談ください。
切子といえば、カットガラスで有名なものは「江戸切子」と「薩摩切子」の2つをイメージする人が多いのではないでしょうか。
薩摩切子は、鹿児島県指定の伝統的工芸品で、歴史的価値や骨とう品として高い価値のものもあります。
ここでは、薩摩切子について解説していきます。
薩摩切子の起源と歴史
江戸時代末期から明治初期にかけて、薩摩藩(鹿児島県)で製造されていた切子のガラスが、薩摩切子です。薩摩切子が作られていたのは、江戸時代末期から明治初期までで製造、生産が終了したため「幻の切子」と呼ばれていました。
それから薩摩切子の製造は100年以上の期間、途絶えていました。しかし、1980年代にさまざまな努力により復活。
現在、鹿児島県で薩摩切子は復活製造が行われています。
薩摩切子は、どのようないきさつで生まれたのか歴史とともに解説します。
薩摩藩と島津斉彬の役割
薩摩切子が生まれるきっかけになったのは、1846年に薩摩藩10代藩主である島津斉興が薬品の強い酸に耐え得るガラス器の必要に迫られたためでした。そのために江戸から硝子師(びーどろし)である四本亀次郎を招いて、製造し始めたのがはじまりです。
1851年に薩摩藩11代藩主の島津斉彬が、外国との交易品や諸大名への贈り物として開発され、芸術的なものとして発展していくこととなりました。
その中でも紅色の薩摩切子は、「薩摩の紅ガラス」とよばれ薩摩切子を代表する色となりました。
このガラスの製造は、切子という技法と共に急速に進化・発展していきました。
幻の切子となる
この当時の薩摩藩のガラス製造の発展は、オランダの医師が薩摩藩を訪れたときの記述が残っており、ガラス製造部門には100人を超える職人たちが働いていたと記されています。そのような中、1858年に島津斉彬が49歳という若さで突然亡くなります。
島津斉彬の死を機に、薩摩切子の事業は縮小され、1863年の薩英戦争や明治維新、1877年の西南戦争によってガラス工場も消失しました。
薩摩切子は、この出来事で急速に衰退へとたどっていき、薩摩切子の製造や技術もここで途絶えてしまいました。
そのことから薩摩切子は、「幻の切子」といわれています。
現在の薩摩切子と復刻生産
製造、生産が幻となってしまっていた薩摩切子ですが、100年以上という年月を経た1985年以降、なんとか復興させようという動きが出てきます。島津家に残されていた薩摩切子の関連資料や残された写真、集成館に収蔵されている薩摩切子を実測することにより復元に取り組みました。
1985年、「薩摩ガラス工芸株式会社」が鹿児島県の協力のもと設立。
紅色の発色にも成功し、薩摩切子が現代に復活することになりました。
復刻した薩摩切子は、1989年、鹿児島県の伝統工芸品に認定されることとなりました。
薩摩切子の特徴と技術
島津藩の御用達として外国の交易品や諸大名への贈り物として高価な製品として製造されていた薩摩切子。薩摩切子は、重ねられた色ガラスのグラデーションとカット技術によって生み出された芸術品です。
薩摩切子は、どのような部分が特徴なのかを解説していきます。
カット技術とグラデーションの美
鉛を24~25%含むクリスタルガラスを使用し、透明なガラスの表面に色ガラスを1~5mmくらいに厚くかぶせ、これをカットし、磨きあげられたものを「薩摩切子」といいます。薩摩切子は、被せた色ガラスに厚みがありますが、色調が淡いため、色の濃いところからだんだんと色彩が薄くなっていく「ぼかし」とよばれる技法を使っています。
このぼかしの技法を使ったグラデーションの美しさが薩摩切子の特徴となっています。
透明感と発色の魅力
鮮やかで澄んだ色が特徴の薩摩切子は、深く、しっとりとした色味を持っています。紅、島津紫・藍・緑・黄・金赤のあわせて6色があり、さらに2色を重ねて色を出す「二色合わせ」が加わり、さまざまな色彩が展開されています。
その中でも紅色は、日本で初めて開発に成功した色です。
この色を発色させるのは現代でもとても難しい技術となっています。
紅色で製造された薩摩切子は、「薩摩の紅ガラス」として一躍有名になりました。
独特の文様
薩摩切子は複数の文様を組み合わせて、ぜいたくな施しがされています。様々な文様があり、例えば、八角籠目紋はという文様は、複合文と呼ばれ薩摩切子は複合文を用いるのが特徴です。籠目文は魔よけの効果や幸運を籠むという思いが込められた縁起がいい文様です。
薩摩切子と江戸切子の違いとは?
細工の美しさが見ている人の心を魅了している、切子。江戸切子は、町人である商人が作り始めたものが、伝統が現代まで受け継がれてきたもの。それに対して、薩摩切子は、薩摩藩が推奨・保護し、産業として発展させたものとなっています。
どちらの切子も始まりは江戸時代までさかのぼります。
背景と歴史的な違い
薩摩藩の藩主島津斉彬が藩を上げて産業の域まで発展させ、外国との交易品というだけでなく諸大名への贈り物、鑑賞用として発展しました。そのため、薩摩藩が大資本を薩摩切子に投じ、独特の技術や特色を生むこととなりました。
町民文化から生まれたもので庶民が日常的に使うものとしてつくられたものが江戸切子です。
江戸切子は、規模の小さい商人の硝子屋が日用品として作っており、薩摩切子のように厚く色被せした素材を作るといことは規模の面でもでも資金の面でも困難なことでした。
技術とデザインの違い
江戸切子は、無色透明なガラスを使用し、薄い色被せガラスが薄く、透明感や華やかさが特徴でコントラストがはっきりしているのが特徴です。薩摩切子は、色を厚く被せていくためガラス部分が厚くなります。
この厚みによって生まれるグラデーションが「ぼかし」という有名な技術で、色合いが全体的に淡いのが特徴です。
また、文様の構成にも違いがあります。
薩摩切子では複数の文様を組み合わせた豪華なデザインのものが多く見られるのに対し、江戸切子はすっきりとした単文様のデザインのものが好まれている。
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■関連記事
薩摩切子の使用方法と保管方法
【使い方】・耐熱ガラスでないため急冷急熱に弱いものになっています。直接、薩摩切子に熱湯を注いだり、大量に氷を入れるようなことは避けるようにしましょう。電子レンジも使用できません。
・口縁の部分が薄く作られています。乾杯の際などはグラスの縁をぶつけないように注意しましょう。
【洗い方】
・食洗機、乾燥機の使用は避けましょう。スポンジか柔らかい布に食器用洗剤をつけて丁寧に洗いましょう。カットされている面は時々柔らかいブラシで洗ってください。
・水垢などで表面が曇ってきたときは、台所用漂白剤を水に溶かし、数時間つけておくことで綺麗になります。
【保管方法】
・収納する際は、ガラスどおしを当てないように気をつけましょう。
・重ねて保管する際には、器の間に紙や布を挟んで保管するようにすると良いです。
現代に生き続ける薩摩切子
製造がおよそ100年以上もの間途絶えることとなっていました。試行錯誤を繰り返した結果、薩摩切子を復活させることができ、薩摩切子は世間にふたたび広く知られるようになりました。
さらに、忠実に昔のものを再現しただけでなく、新しい薩摩切子も製造されはじめています。
薩摩切子の骨董品としての価値や現代の職人技術の進化について解説していきます。
職人の進化する技術
伝統技法の復元を行うだけでなく、積極的に新しい技法の開拓も行っています。そのひとつが、2001年に商品化された「二色被せ(にしょくぎせ)」。透明ガラスの上に選りすぐられた異なる2色の色ガラスを重ねることで3層にします。
もともと色ガラスと透明ガラスのグラデーションが特徴の薩摩切子ですが、二色被せは、今までにない「色彩のグラデーション」が表現できます。
このように、さらに発展、進化していく新しい薩摩切子はこれからも注目です。
骨董品としての価値
骨董品の買取でも需要が高い薩摩切子。薩摩切子の伝統は、一度途絶えてしまったため、当時のものであれば希少性があります。
江戸末期から明治初期にかけてのものは、現存するものは大変少なく、わずか200点ほどが現存しているようです。
そのため、貴重なもので現在かなりの高額で取引されています。
獏は薩摩切子の買取を行っております
遺品整理など相続品で価値の分からない薩摩切子の買取を獏では行っております。薩摩切子には、さまざまな種類があります。
薩摩切子には価値があるのはわかっているが、いったいどれほどの価値があるのかというのは、素人目には価値の判断をつけることができないことが多いです。
そんなときは、豊富な知識を持った専門業者にお任せするのが良いと思います。
出張買取
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今回は、薩摩切子についてご紹介しました。薩摩切子は、江戸時代末期に誕生してわずか20年あまりで製造されなくなってしまいました。
現代に復活するまで約100年以上、製造されてこなかった薩摩切子。それだけに江戸時代末期から明治初期の間に製造された薩摩切子はとても価値の高いものです。
薩摩切子の価値は、骨董品として特別な知識が求められるため、高額になりやすい薩摩切子は専門業者でないとその価値を見抜くことができません。
価値がある薩摩切子をそのままにしてしまう前に、獏にぜひともご相談ください。