はじめに
東京の美術品買取専門店 獏です。早速ですが、【パブリックアート】というものをご存知でしょうか。
直訳すると「公共の芸術」となり、誰でも簡単に立ち入ることの出来るスペースに置いてある芸術作品を指します。東京都内にはパブリックアートが設置されている場所が非常に多く、至る所で見付けることが出来ます。
絵画・美術品の買取に従事している者として、今回を皮切りに、街で見かけたパブリックアートを紹介していきたいと思います。
少し気にかけて街を歩くだけで、素敵な出会いがあるかもしれません。「何気なく見ていたアレが有名な作家さんの作品だったのか・・・」と思うモノもあるかもしれません。このブログがそのような出会いのきっかけになれば嬉しく思います。
発見した場所:「上野駅」
上野駅は1883年7月28日に上野~熊谷間の始発駅として開業した、非常に長い歴史を持つ駅です。新宿駅や渋谷駅までではないかもしれませんが、慣れていない方は迷ってしまいそうなほど大きな駅です。また、上野駅は「北の玄関口」と呼ばれています。今では違いますが、昔は「東北から上京する人間が最初に降り立つ東京の駅」だったことからそう呼ばれるようになりました。
個人的には「芸術の玄関口」であるとも思っています。駅に隣接する上野公園には【国立西洋美術館】、【東京都美術館】、【上野の森美術館】などを含め多くの美術館・博物館が点在しています。そして芸術系の大学で最高学府【東京藝術大学】も隣接しています。
発見!彫刻家・朝倉文夫の作品
上述の通り美術に親和性の高い上野駅を歩いていたら、有名な彫刻家【朝倉文夫(あさくら ふみお)】の作品を発見しました。作品のタイトル:『三相 智情意』
広い上野駅構内、中央改札 16番線近くのスペースで出会いました。
『三相』と名付けられたその作品は3人の若い女性が背中合わせで立っている姿が形作られており、それぞれの表情などで「智・情・意」を表現しています。朝倉文夫の代表作と言われています。美術館に収蔵されていてもおかしくないサイズと迫力を兼ね備えた作品がこのような場所で無料で見ることが出来るとは思いませんでした。
ちなみに、上野駅開設の年が朝倉文夫の生年と同じ1883年であることから駅に寄贈されたというエピソードが台座の裏に記されていました。
朝倉文夫とは?
朝倉文夫(1883~1964)は大分県生まれの彫刻家です。上京して東京美術学校(現東京藝術大学)に入学後、自然主義的な写実を信条に数多くの作品を世に残しました。主にブロンズ作品を制作し、日本の彫塑界を牽引する存在として大いに活躍、1948年には彫刻家としてはじめて文化勲章を受章しました。彼の作品はあまり市場に出回っておらず、大作の殆どは美術館や公共の施設に収蔵されている印象です。数少ない市場に出回っている作品は、20~30cm程度の小ぶりな作品が殆どです。
ちなみに、娘・次女の朝倉響子(1925~2016)も彫刻家として有名です。
上野駅から少し離れますが【朝倉彫塑館】もあります
【朝倉彫塑館】は彫刻家・朝倉文夫のアトリエ兼住居だった建物で、現存している建物は1935年に建てられました。建物は朝倉が自ら設計し、細部にいたるまで様々な工夫を凝らしたそうです。そして朝倉はここを『朝倉彫塑塾』と命名し、教場として広く門戸を開放し、後進の育成に努めました。
この施設は1967年から公開開始となり、1986年には台東区(現在の場所)に移管されました。2001年には建物が国の有形文化財に登録され、文化財的な価値を高めています。
朝倉文夫の作品だけではなく、建物自体も楽しめる空間です。
『朝倉彫塑館』アクセス
JR、京成線、日暮里・舎人ライナー
日暮里駅北改札口を出て西口から徒歩5分
まとめ
通勤や通学中に何気なく目にしている美術品のようなモノも、もしかしたら一流作家の作品かもしれません。同じような事を繰り返す日常では目に映る風景も新鮮味が無くなってしまいがちですが、少しアンテナを張って歩くだけで、気付くことがあるでしょう。
「わざわざ美術館や博物館に行くのは億劫」という方も、ちょっとした用事のついでにパブリックアートを見てみて下さい。そして美術品に少しでも興味を持っていただけたら、美術業界に携わる人間として非常に嬉しいです。
都内には他にもたくさんのパブリックアートがあります。また見付けた際には写真と共にブログでご紹介します。